住宅の所有者としての「家族法人」という提案

俺の考えたかっこいい社会制度シリーズ最新作。たぶん、誰かが先におんなじこと考えてるんだろうけど、それがわかると書く気がなくなるので、敢えてググらない。

200年住宅とかいう頭の悪そうな提案が出てきたのは福田内閣のときだったと思いますが、200年とは言わないまでも、住宅の寿命を延ばそうというか、延びちゃってるというか、そういう傾向はこの寒暖乾湿の差の激しい日本においても明らかであるように思います。

しかしながら、その住宅の所有者であるところの人間の寿命というものは、どんどん延びつつある住宅のそれと比べると非常に短い。死にかけのおじいちゃんを三杯酢に漬けると再生するという話もデマだったようです。30歳で住宅を取得しても、人間の寿命を80年としたら実際に住めるのは50年間。200年住宅の残り150年間はほかの人間が住むという計算になります。

50年しか住まないことが明らかである人間が所有する住宅。これを200年使っていくことができるように維持管理していこうというモチベーションはいったいどこから沸いてくるのか(いや、沸いてこない(反語))。持ち家だ賃貸だと論争する前に、寿命の短い人間という存在は、住宅の所有者としてふさわしいのかという疑問が生じます。

そこで考えられるのは、永遠の命を持ち絶対でありかつ神聖な存在であるルシフェル様以外にはありえないという厨二病的意見をさしおくと、人間と同じようなはたらきをしながら、その構成員が入れ替わることにより継続させることができる、法人というもの。これが所有者であるのがふさわしかろうというところに落ち着くんではないかと。

そもそも、個人が住宅を所有するというようなことになったのは、「民法出でて忠孝滅ぶ」と言われたあの頃以降のことだったのだ・・・と遠い目で思い起こしてみるなどしてみたところで筆者が昭和生まれである以上なんの意味もないことではありますが、家長制度とかイエ制度とか言われたものがあったころは、たぶん住宅の所有者というのは個人ではなく、「イエ」だったと考えられるんじゃないかとまあ、何の根拠もなく思うわけであります。で、その「イエ」というものは、家長という人間、法人と区別して言うなら自然人ではなく、法人であったのではないかと。

「イエ」が住宅を所有すると言う、いささかトートロジーじみた仮説が成立するのかどうかは別にしても、自然人よりも長い寿命を持つ住宅の所有、維持管理の主体として、会社とかNPOとかいったものよりも、もうちょっとカジュアルな法人というものが考えられないだろうかというのが、脱線気味なこのエントリの主旨であります。

もちろん、そのために封建的なイエ制度や家長制度を復活させるというのはあまりにもアナクロです。個人が、個人の意志でもって形成する法人であるべきだとは思いますが、まあ上で述べたような狙いのものですから、デフォルトでは「家族」であってよいのでは、と。だから、「家族法人」ね。

今の制度だと、住宅の所有者である人間が死ぬと、相続税が発生して、相続税を払うために住宅を売り払うと言うような馬鹿馬鹿しい事態が稀に発生するわけですが、「家族法人」が所有者であるならば、代表者の交代というようなことはあるかもしれないけれど、「相続」が起こるわけではないので、家族はそこに住み続けられる。権利が侵されない。

家族法人」を解散して、所有を個人や別の「家族法人」に移すということも可能だけれど、その場合「家族法人」は死んだという風に受け取れるので、その譲渡には相続税に相当する税を課す。というようなことをすれば、簡単に家族法人を解散したり、また組んだりというようなトリッキーな動きを抑制できるような気がする。

その「家族法人」の中で、育児や介護といった社会に負担をかけるような労務を負担することができたら、その「家族法人」に対して、たとえば法人税と住民税の中間的な税があるとして、それが軽減されるようなインセンティブを与える。みたいなことまでいくと行き過ぎのような気がするけど、現状崩壊しつつある家族を、自由意志の元に再構成するとかそういうなんかかっこいい感じにしたらええんでないの。

そういうの中に、たとえばシェアハウスとか、同性愛カップルとか、そういう新しい社会的グループみたいなもんが取り込めるような、そういう何となく漠っとしたものを提案することで、簡単ながら私からのご挨拶とさせていただきます。