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乗降客数世界最大の駅を使いこなせる人々が大雪で買占めをするという矛盾から見える、都市と人とのビジネスライクな関係

花粉症で朦朧とする意識の中、最近読んだ記事やブログを適当につまみ食い。

[徳力]世界の駅の乗降客数ランキングで日本が上位を独占するほどの人数を毎日安定してさばけているのは、鉄道会社だけの手柄では無いという視点

確かに、日本の大都市の各駅が、これほど多くの乗降客数を捌くことができているのは、乗降客側の協力のおかげだと思う。毎日見知らぬおっさんと頬を寄せ合うようにしながら電車に詰め込まれて通勤しているのは、誰に頼まれたわけでもない。しかしその協力意識の源泉を、日本人のモラルなどといったところに求めてしまってよいのだろうか。

わたしは、都市とそこに住む人との関係は、もっとビジネスライクなものだと思っている。都市に住むことによる利益はなんなのか。それは、ある人にとっては高度な仕事と、それに対する高い報酬であるだろうし、また別の人にとっては、高い水準の教育であったりするだろう。一方で、その利益を得るために、都市に何をどこまで与えてもよいのか。満員電車の中で過ごす長い時間か、高額な家賃か。意識的であれ、無意識的であれ、都市に住む人々はその基準を自分の中で決め、それにしたがって都市から利益を得、都市に奉仕している。

【画像集】東京都民、たかが雪で食料品を買い占め始めるwww - NAVER まとめ

ところが、その関係は大雪や震災といった自然災害のもとでは崩壊する。メロンパンが欲しいと思ったそのオンタイムに、スーパーの棚には100円ちょっとでメロンパンが売られているという高度な物流システムは、都市から得られる利益のひとつであろうが、路面に積もった十数センチの雪の前にはその力を失ってしまう。都市の側から利害関係を打ち切ってくることが予測されると、人々は都市より先にその関係を破棄しにかかるのである。もし、新宿駅の世界最大の乗降数を支えているのがモラルだとしたら、その同じにモラルによって、限られた食料を分け合うということができるはずなのに、それは実現されないのである。


このところ、郊外と言うには通すぎる、通勤電車の終着駅に近いあたりにたくさんの物流センターが建設されていることに注目している。需要のあるところに需要のある分だけ、正確にリアルタイムに物を届ける技術が飛躍的に発達し、それにより集約可能になった物流拠点の建設が進められているのだと、そう解釈している。都会を取り囲むように建てられた物流センターの内側に入ってくる商品は、時間も量も高度にコントロールされるようになってきているのだろう。ひと昔前までは、スーパーマーケットといえばその床面積の30%以上がバックヤードとして、物品の蓄積に充てられてきたと思うが、昨今スーパーはどんどんコンビニ化し、バックヤードのない店舗が増えてきているという。これは物流の高度化と、物品の蓄積に充てる空間の利用効率が低いという都市側の要請の両面から進んできていることだと考える。

スーパー化するコンビニと、コンビニ化するスーパー (エコノミックニュース) - Yahoo!ニュース

経済的な観点から、物流の高度化はさらに進められていくだろう。大雪や震災といった自然災害の際には、物品は物流センターから都市の内側に入ってこなくなり、先に見たように都市と人々の関係は崩壊する。物流が高度化することにより、たとえば災害時にバックヤードに蓄積されていた物品を棚に出すといったような、物流の冗長性が失われていく。都市に住む人々が、そうした変化を敏感に感じ取っているとしたら、今後はより些細な出来事によって、「都市との契約破棄」に踏み切る人が多く出てくる可能性が危惧される。

モラルという面から見ると一見矛盾しているように見える、表題に掲げた問題。しかしながら、都市と人々との関係がよりビジネスライクになっていく中で、合理性から日常と非日常においては異なった行動をとるということが現実にありうるということだろう。都市と人との関係性において、合理的に選ばれる行動が、モラルに合致しているかどうか。それは、場面場面によっていろいろなケースが出てくるのであって、合理性とモラルの間に因果関係があるわけではないのだろう。

都市から多くの利益を得て、多くの奉仕をしている人ほど、都市との利害関係を強く意識しているのではないだろうか。都市から利益を得ていない人にとっては、都市への奉仕などというと滑稽かもしれない。それは、たとえば定年退職などで都市との利害関係を終了した人、親の世代から都市に住み、自らの決定でもって都市との関係を持ってはいない人など、都市の中でも多様な価値観があるのだと思う。日本の都市が進めていく方向が、より高度で、冗長性のないシステムを築いていくことなのか、あるいはそうでないのかはわからないが、世代、地域、その他いろいろな理由によって存在する、都市への意識の濃淡を、どのように取り込んでいくかが課題となるだろう。