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ごちそうさんのように「疎開」のできない現代の都市について

今朝読んだこの記事について。ごちそうさんあまちゃんも、全く見てないんですけどね。

「ごちそうさん」で悠太郎の逮捕はなぜ?「爆弾は当たらない」などの宣伝で犠牲者を増やした歴史を直視(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース


「空襲は怖くない」、「逃げずに火を消せ」 という当時の政府の指示の妥当性というところがこの記事のミソなのでしょうが、個人的に、それより前に「うーん」と唸ってしまったのが以下の箇所。

主人公のめ以子(杏)の夫の悠太郎(東出昌大)は、大阪市の防火改修課の課長。戦時には、建物を「疎開」する作業の責任者だ。「疎開」とは、火災や空襲などでの損害を減らすために、都市に集中する建物や住民を分散すること。
悠太郎がかかわる「疎開」は、建物を減らすことだ。

空襲の際の延焼被害を少しでも減らすため、住宅街に空き地を設けるように邪魔な住宅を「引き倒す」のが彼の仕事だ。

疎開」と聞くと学童疎開を思い浮かべてしまって、「疎開」という言葉、疎という漢字と、開という漢字から成る単語の意味をちゃんと調べなかったのは、うっかりしたもんだなぁという反省しきりです。疎開というのは、「疎らに開く」、分散を意味するのは明らかだったのに。空襲によって火災が発生した際に、緩衝帯を設けて延焼を防ぐ。そちらの方が「疎開」の本来の意味にずっと近い。有力者であるか否かによって対応を変えてよいかという点は別にして、建物の「疎開」による防災という政府の施策自体は、現代から見ても間違っていたとは思えないのですよ。


さて、なぜ 「うーん」と唸ってしまったのかというところなのですが、この建物の「疎開」という政策、現代ではかなり実行が難しくなってしまっているよなあ、という点においてなのです。

空襲による被害が発生する可能性こそ、当時と比べたら格段に小さくなっている現代の日本の都市ではありますが、たとえば首都圏直下型地震が高い確率で、近いうちにくるといわれている中で、「疎開」という施策は決して過去の遺物ではないと思うのです。特に、木密地域と呼ばれる、木造建築物が密集している地域においては。

木密地域不燃化10年プロジェクト/東京都都市整備局

もっとも、上のリンクにもあるように、現代の技術において、空地にまでする必要はなく、耐火性の高い建築物への建替えの促進というものでもかまわないのかもしれません。しかしながら、現代では政府が強権をふるって個人の所有物たる建築物を空地にしたり、建替えさせたりということは、財産権の保護という観点から、非常に難しくなっているわけで、結果として上のリンクのような施策も、毎日電車の窓から眺める風景から推察するに、遅々として進んでいないものと思われます。

もちろん、自分の家がある日突然政府の気まぐれによって取り壊されるような社会が望ましいとは思いませんが、神戸の震災における長田区の状況などを思い出してみると、こと人命に関わることであるだけに、もう少し強制力をもってことにあたるべきではないかと思う次第です。財産権の保護に寄りすぎている現代のあり方と、「ごちそうさん」の時代のあり方の中間に、本来あるべき姿があるのではないかなあ、と思ったりするわけです。

「安心・安全、福祉、五輪で世界一」 舛添知事施政方針:朝日新聞デジタル


ごちそうさんの現在の舞台は大阪のようですが、東京の話をすると、先日の都知事選で、舛添知事は上のような施策を掲げて当選しました。しかし、杉並、世田谷、中野、練馬といった場所に、木密地域が多く分布しているのは安心、安全の観点から非常に問題が多いと感じるとともに、こうしたブランド価値の高い地域の道路インフラが非常に貧弱であり、利用効率が非常に悪いなかでは、世界一の都市を実現するのはほとんど不可能だろうと予測せざるを得ません。

疎開」という考え方と共通すると思うのですが、木密地域に広い道路を計画的に配し、通勤通学に便利な地域に、耐火建築物を主体とする良質な住宅を供給していくことが必要だと思うのですが、それには財産権をある程度において尊重した上で、ある程度強制力をもった施策が欠かせないと思うのです。

過去の過ちを反省することは非常に大切なことだとは思いますが、未来においてどうしていくかを考えていくことのほうが、私は大事なことだと思っていますよ、ということで、寝ます。