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足の裏についた、ごはんつぶ

 まあ、昔から言うわけですよ。一級建築士は足の裏についたごはんつぶ。取らないと気持ち悪いが、取っても食えない、って。

 建築士という資格は最後に士という文字がつくんで、「士業」と呼ばれるものの中に一般的には入るようなんだけど、「士業」ってのはきっと、「士」であること、資格を持っていることが、たちまち「業」に結びつくもの、つまり取ったら食える「士」であり「業」のことを言うんであって、そういう意味じゃ、足の裏についたごはんつぶであるところの建築士というのは、「士業」じゃないんじゃないかと思ったりもするわけである。

 じゃあ逆に、食べられる「士業」は、どうして食べられるのかを考えてみたい、というのが今日のテーマ。


・資格を失うデメリットが倫理観を保証する
 「士業」を営むには、何らかの難関の資格を手に入れることが必要になるわけであり、その難関を突破するためには、それなりの専門知識が必要ということになる。その専門知識をもってすれば、資格を持っていない人など簡単にだませるわけであるからして、「士業」を営む人には倫理観というものが求められる。

 でも、そういう倫理観みたいなものがちゃんと守られるかどうかが、その「士業」を営む人の人格だけに依っているっていうのは、結構頼りないわけですよ。そこで、「士業」を営む人が倫理に背くようなことをした場合、社会的な信用を失うだけでなく、その資格を剥奪し、「士業」が営めなくしてしまう。そんなことになるくらいなら、小銭を追ったりしないで、倫理に基づいて「士業」を遂行するだろう。そう思うから、ぼくたちは、たとえば意識不明の状態で病院に運ばれても、ある程度安心して、お医者さんに身を任せられるという寸法である。


・デメリットだけじゃなくメリットも必要だ
 と、ここまで考えてみると、「士業」を営む人にとって、資格を剥奪されるリスクってのは、ちょっとデカすぎやしないだろうかって思ってしまう。だって、専門知識は専門っていうくらいだから、それ以外の知識を蓄える機会を逸してまで、勉強に時間を費やしてきたわけであり、その専門知識を使って仕事をしちゃいけないと言われたら、他に食べていく道を見つけるのはかなり困難だと思われる。「士業」を営む人が倫理を守るために、資格剥奪というデメリットだけを与えたのでは、そもそもその「士業」に就きたいと思う人がいなくなってしまうのではないだろうか。

 やはり、デメリットだけでは心許ない。メリットが必要だ。「士業」を営む人には、倫理を守るということに対して、相応のメリット、高い報酬が得られるということにしなくてはならない。だからこそ、「士業」を営む人になりたいという優秀な人材が集まるわけであり、優秀な人材が豊富な専門知識を持つことによって、社会的に重要な役割を果たすわけだ。「士業」を営む人は、高い報酬というメリットと、資格を剥奪されてそのメリットごと「士業」の地位を失ってしまうデメリット、この両者を比較して、やはり倫理を守ろうという選択に至る。


・高い報酬を維持するいびつな仕組み
 では、その高い報酬となるお金は、どこから湧いて出てくるの?ということになる。ぱっと思い浮かぶのは、毎度のことではあるけれど、市場の原理によるという説。「士業」と呼ばれる仕事がもたらす成果を多くの人が求めているにもかかわらず、難関であるその資格を持つ人が少ないので、多額の報酬を払ってでもそれを求める。「士業」たる難関資格を難関たらしめているのは、その試験元の機関であり、その機関が試験の難易度を調節し、「士業」の供給を需要に対して少なくして、その結果として「士業」に対する高い報酬が維持される、という仕組みであると考えられる。

 ただ、「士業」の供給が需要に対して常に少なくなるよう調整されているのだとすれば、「士業」を営む人がオーバーした需要を見捨てることを倫理上許されていない状況では、残業するなど何らかの無理をしてこの需要に応えていかなければならないわけで、ブラックな職場環境となることは必然的に予想される。

 さらに、需要と供給をアンバランスな状態に保つため、資格試験元は常に市場の動向を観察する必要があり、そこで判断を間違うと、「士業」を営む人の報酬は雪崩をうって下がってしまう。判断が間違っていなくても、その「士業」への需要が、一時的に急激に落ち込んだとすると、それに合わせて試験を急激に難しくしなければならなくなり、その時にその資格を得ようと思って専門的な知識の習得に励んでいた人は、その努力の甲斐もなく門前払いということになってしまう。これは、資格を持つ人の年齢ピラミッドの形をおかしなものにしてしまうだろう。さらに需要の落ち込みが激しければ、すでに資格を持っている人から資格を剥奪しなければ需給のバランスが取れなくなってしまうわけであり、現在の日本でみられる多くの制度と同様、右肩上がりに需要が増えていくことを前提とした仕組みであることが見えてくる。


・足の裏についたごはんつぶに何を求めるか
そう考えると、「士業」というものの立つ基盤というのは、かなり危ういものに見える。ブラックな職場環境、下がる報酬、そして資格剥奪というリスクにおびえて優秀な人材は逃げていき、倫理は失われてしまうだろう。

足の裏についたごはんつぶになってしまった「士業」に、専門的知識や倫理観を求めることは難しくなってしまったら、いったいどうすればいいんだろう。それについては頭が整理できてないので、またの機会に。