読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

建築を需要で評価すると間違いやすいという話

建築

新年早々、建築関係者と不動産関係者の間で話題になっていたやつ。
元になったブログがこれ。
プリツカー賞受賞建築家のつくる家 : R-STORE社長浅井佳のハンサムな家えらび。
それに対する反応がこれ。
「プリツカー賞受賞建築家のつくる家」妹島和世氏の集合住宅が賃貸物件として苦戦していることへの反響 - Togetter


わたし的にまとめると、ふたつの評価軸の間の争い。一つは、たとえば建築の賞や建築雑誌、あるいは大学建築学科の設計製図課題の講評会で行われているような、建築家が建築家を評価するという部分の大きい、学術的評価軸。もう一つは、建築の取引価格、お金に換算できる経済的評価軸。どちらの評価軸が正しいか、みたいな論争かと思います。

ところが、後者の方の経済的評価の方は、よく考えてみると、建築自体を評価する際にとんでもない間違いを起こすことがあるんじゃないか、と。

例として、賃貸住宅について考えてみましょう。普通に考えると、それが良い建築であれば、より多くの人が、より高い値段であっても住みたいと思うはずです。いわゆる、需要が大きい状態であり、家賃は高くなります。

良い建築であれば、需要が大きい。この命題が真であるならば、その対偶である命題、需要が大きくないならば、良い建築ではない。もまた、真であるということになります。つまり、需要の大小を測ることによって、建築の質の良し悪しについて判断できる、ということになり、これはまさに経済的評価そのものであります。

これは、良い建築である→ならば需要が大きい→ならば良い建築である→ならば需要が大きい→ ・・・という循環を引き起こします。

しかし、仮に一度、良い建築が安い値段で取引されたとしましょう。これをもって、市場は需要が低いと判断するはずです。そうなると、良い建築であるはずなのに、需要が小さい→ならば良い建築ではない→ならば需要が小さい→ ・・・という循環にハマり、経済的評価軸とは別の評価軸を持ってこない限り、抜け出せません。

特に賃貸住宅のように買い手が個人である市場では、作り手である建築関係者や売り手である不動産業者と、買い手である個人との間で、持っている情報に大きな差があります。従って、良い建築であるのに安い値がつくということが起りやすい。

妹島和世さんの設計した建築の需要が小さい、という事例があると、妹島さんのような有名な建築家が設計したものであっても、良いものと悪いものがあるのか・・・と、自分の中に建築の良し悪しを評価する知識・情報のない人にとっては、安心して建築を買えない状況になってしまい、下手をすると建築家が設計した建築全体が、上で見たような悪循環に陥る可能性がある。これが元のブログの危惧するところであると思います。

誰もが良い建築を良いものだと間違いなく評価できるように、情報と価値観の共有ができれば理想的なのですが、学術的評価軸というのはまた、建築家が建築家を評価する部分が大きいと上で書いたように、一般にまで価値観を共有することを図る性質のものではなかったりするので、いろいろと難しい。

これについてもいろいろと思うところがありますが、長くなるのでまた別の機会に考えてみたいと思います。