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「解雇しやすい特区」は、「会社との貸し借りがない特区」となる・・・はず

今朝見たこの記事に対して、脳を使わずに脊髄がもつ知性だけで書いてみようと思う。

朝日新聞デジタル:「解雇しやすい特区」検討 秋の臨時国会に法案提出へ - 政治

この特区で緩和される規制が、実際にはどういうものになるのかわからないが、朝日新聞の見出しだけから言うと、いわゆる日本固有の「解雇規制」と呼ばれているものがなくなるんだろうと推測される。

それが、日本固有なのかとか、現実に解雇の自由を縛るものになっているのかとか、いろいろ議論があるんだろうとは思うけど、そもそも、日本の裁判所はなぜ解雇に対して会社側に非常に大きな責任を負わせようとしてきたのか、というところがあんまり話をされていないように思う。

私思うに、日本の会社と、日本のサラリーマンの間には、ものすごく多種多様な「貸し借り」があるのだと思う。

例えば、教育。日本の大学で行われる職業訓練が十分だとか不十分だとか、そもそも職業訓練なんか大学ですべきかどうかという話は別にして、日本の会社は、けっこう一生懸命社員教育をする。それが、大声で早口言葉を唱えるとか、わけのわからないものである場合もあるけれど、会社にとっては、人件費なり何なりを使ってやっていることなのだから、貸しだと思っているだろうし、従業員はそんな理不尽なことやってる暇があったら英語の勉強のひとつもしたいよと思ってればこちらが貸しだと思ってる場合もあるだろうけど、貸し借りであるのは確かだろう。

例えば、企業秘密の保持。特許が取れるようなちゃんとした秘密はもちろん、食品工場からゴキブリが出たの出ないのまで、会社には秘密があるし、それを洩らされたら困る。会社から見れば、そんなのは洩らさないのが当然だと思っているかもしれないし、社員から見れば、洩らさないでやっているんだと考えているかもしれないが、こういう関係が破綻すると最近良く起こる騒ぎにつながる(まあ、最近のはそこまで考えてない気がするけど)わけで、これも貸し借りの関係だ。


で、長く続いた貸し借りの関係を、最後に清算するのが、退職金だ。


ここにひとつのカラクリがある。清算方法として、必ず会社から社員へ、お金を渡すという形となっているのだ。

普通に考えれば、貸し借りの関係を清算するという意味であれば、場合によっては社員から会社へお金を渡すという関係になる場合があっておかしくない。しかし、そうならないように、わざと調整をしている。つまり、本来、月々、社員に渡すべき報酬の一部をストックしておいて、退職金として最後に渡すようにしている、と解釈できないこともない。

つまり、日本の典型的なサラリーマンというのは、退職金を渡されるまでは、会社に貸しを作っている状態であるわけだ。

そう考えれば、裁判所が「解雇規制」と呼ばれるような枷を嵌めたがる理由も見えてくる。解雇されるということは、会社に貸しているものを返してもらえなくなるわけで、こうした貸し借りの関係を、借りている側が一方的に破棄するのは、一般常識から考えて許されないよ、ということなのではないか。逆に、雇われている側から辞める分については、債権の放棄だからご自由にどうぞ、ということだろうと。

「解雇しやすい特区」というものを作ろうと思うのであれば、このような、会社と従業員のあいだの貸し借りをできるだけ少なくした上、月々なのか年俸なのかはわからないけど、その都度その都度、いわゆる取っ払いで報酬を受け渡しする関係になる。

はたらく者からすると、会社に入っても何から何まで教えてくれるわけではないから、自分の財布を開いて技術なり技能なりを身につけていかなくてはならないし、会社からすると企業秘密をもって他者に走るようなことにならないような対策が必要だ。しかし、会社としても最低限自社内でしか通用していない知識などは教えなければならないし、秘密漏えいを制御するにはお金を担保にした方が効果が高いと考えることもあるだろうから、「貸し借り」は完全にゼロにはならないだろう。つまり、程度問題である。

程度問題として、どのくらいまで「貸し借り」の関係を薄めるのか、あるいは強化するのか、というのは会社ごとにいろいろと考え方があっていいと思うし、日本全体でひとつのスタンダードにそろえる必要はないわけで、現行の法律でもそういうバリエーションはけっこうつけられたりするんじゃないかと思うんだけど、特区をつくることで意識される部分や、実際に明文化された緩和があるんだとも思うので、どうなるか、アリの巣箱の観察的に楽しみにしています。

なお、このエントリは基本的に以下のエントリの焼き直しです。あしからず。
日本に非限定正社員なんてものが存在する理由がわかった - concretism