読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「風立ちぬ」と「黒部の太陽」は、どちらがファンタジーか

まったく意図はしていなかったのですが、技術者の生きざまを題材にした映画を2編、立て続けに観たので、めんどくさいので2編いっしょに感想を書いておきます。

以下、ネタバレを含みます。

いや、すみません。はてなブログにいつのまにか「続きを読む」なんて記法が追加されていたので、ネタバレしないようにと思って、「めんどくさいので」なんて書きましたが、それは真意ではありません。先週、DVDを借りて「黒部の太陽」を観、今日「風立ちぬ」を映画館で観て、すぐに思ったのが、この2つの映画は、非常に似ているなあ、ということだったのです。具体的に共通点を列挙すればいいのでしょうが、どちらも観た人にとっては蛇足でしかないと思いますので省略します。

いや、決して「風立ちぬ」が「黒部の太陽」のパクリだと言いたいわけではありません。

東京タワーも大嫌いで、エッフェル塔の貧乏なマネをしやがって、と屈辱感しかなかった。昭和30年代が懐かしいなんて、ちゃんちゃらおかしい。あのころがよかったというのが僕にはない
宮崎駿「時代が僕に追いついた」 「風立ちぬ」公開 :日本経済新聞

こんな風に語る宮崎監督に、まさに高度成長期を象徴する工事を主題とした「黒部の太陽」とそっくりのストーリーですね、なんて言おうものなら、あの偏屈じいさんのことだから「風立ちぬ」をお蔵入りにしてしまってもおかしくない。

「風立ちぬ」は、堀越二郎という実在の人物に、堀辰雄の小説の背景を与えることで生まれたストーリーだということですが、技術者として一途に生きる様を描こうと思ったら、どうしてもプロットは似通ってしまうのだ、ということなのかもしれません。ともあれ、似ているがゆえに、異なる部分を抽出していけば、それぞれの映画の特徴が浮き彫りになる。

すなわち、「黒部の太陽」の主人公である二人、石原裕次郎三船敏郎(役名忘れた)は、本当に嫌々トンネル作りに巻き込まれていくのに対し、「風立ちぬ」の主人公、堀越二郎にとっての飛行機作りは「夢」であり、いくつかの失敗はあるものの、それを着実に実現していきます。仕事に打ち込む技術者たる主人公と、置き去りにされる家族。その構図は同じでも、一方に漂う悲壮感に対し、もう一方には明るい光が差し込んでいます。

私は「黒部の太陽」を先に見たので、石原裕次郎三船敏郎の置かれた境遇というのは、やはりフィクションだなと(これは私の職業柄もあるでしょうが)感じたものですが、それは黒四の工事に携わった人のさまざまなドラマを主人公2人に集約したがゆえのもので、そういうことがあってもおかしくはなかった、というレベルのものなのだと、「風立ちぬ」を観終わった今では、そう思います。

それに対して、「風立ちぬ」は、あれはやはり、ファンタジーなのです。現実と夢のはざまは最初から最後まで明確でない、千と千尋ではかなり具体的な形をしていて、ポニョではかなりあいまいになってきていた、現実と夢のはざまの「トンネル」が、ついに完全に姿を消してしまい、夢は風となって前編に吹きわたるのです。そういう意味では、前掲の日経新聞のインタビューで、「再びファンタジーを作る気持ちはあるか」という質問はおかしいですね。

幼少のころの夢を追いかけて、それを仕事にしていくという技術者像は、「時代が僕に追いついた」という宮崎監督の言葉とは裏腹に、過去のものであるといえるでしょう。しかし、現代の技術者を勇気づける映画を観たければ、45年も前につくられた「黒部の太陽」を観ればよい。「風立ちぬ」は、吹きわたる風を楽しむ映画なのです。

そう思うと、「黒部の太陽」で、風が吹くシーンがまた、一層意味のあるものに思えてきました。


黒部の太陽 [通常版] [DVD]

黒部の太陽 [通常版] [DVD]