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こういう形にしかなりようがなかったんだ!

建築ってのは、「こういう形にしかなりようがなかったんだ!」ってのが一番幸せなんだよ。

建築の施工という仕事をしていると、短くても半年以上、長いと2~3年、場合によってはそれ以上という年月を、ひとつの現場で過ごすことになる。ひとつの建築物をつくるために、自分の人生の数パーセントが持っていかれる。ひとつの建築は、そういう人間が、数十人、数百人集まってつくられるわけであって、こういうのを積算しちゃっていいのかどうかわからないけど、何人分か、何十人分かの人生まるごとが費やされる計算になる。

そういうものであるところの建築の設計が、一人か、あるいは数人の、人間の頭からポロンと、たまたま、出てきた形でございます、ということになるとどうだろう、と。多くの場合、まあそういうもんだろうな、と自分を納得させるわけだけれど、正直釈然としない部分が残る。いや、別にこの形でなくても良かったんだけれど、などと言われれば、怒りにもなる。

だから、建築の設計をされる方々には、我々施工者に対して、それが嘘であっても「こういう形にしかなりようがなかったんだ!」って、言いきって欲しい。発注者も、そう言ってくれれば納得するだろうし、ついでに、言ってる自分さえもそう信じ込んでいてくれれば、みんな幸せになれそうな気がする。でも、それって難しいことだということもわかってたりする。


ルネッサンスよりも前の教会みたいに、神様のお告げでこのような形になったと言うのであれば、それが一番いいのかもしれない。でも、よく考えてみれば、当時の石工の棟梁は、今で言う設計者と現場監督を兼ねていたわけで、設計者でありながら、施工者と四六時中生活を共にしていたはずだ。ということは、上でぼくが書いたような施工者のモヤモヤを払拭できるよう、設計者としての立場を隠して、神様のお告げで「こういう形にしかなりようがなかったんだ!」と、棟梁たちが言っていたのかもしれない。

ルネッサンス以降、建築の形を考えるのは人間であるということが、意図的に、明らかにされてしまう。建築の形を人間が考えた、という事実を、神様というものを持ち出さずに言い繕うこと、言い訳が、必要になったんではないかと思う。それはおそらく、建築の設計の担い手が石工の棟梁から建築家という専門職に移行したルネッサンス以降では、現場をまとめるためというよりは、発注者、パトロンを納得させるために。

その言い訳は時に、ギリシャやローマの古代建築に典型的に見られた形だったかもしれないし、あるいはミケランジェロやダヴィンチなどの幾人かの「天才」の業績だったかもしれない。いずれにしても、建築が「こういう形にしかなりようがなかったんだ!」という言い訳を、引用してきた建築の時系列に並べることで、「様式」というものができあがってきた。○○という用途の建築であれば、○○様式になりますから、こういう形にしかなりようがありません、と。しかし、ここにモダニズムがやってくる。

モダニズムの担い手たちは、様式が言い訳であることを看破っていた。いや、おそらく、モダニズムの担い手ではなかった様式建築の建築家たちも、様式が言い訳であることは重々承知していたんだろう。それでも彼らが様式を捨てなかったのは、それを捨ててしまえば「こういう形にしかなりようがなかったんだ!」と言えなくなってしまうからだ。

では、なぜモダニズムの担い手たちが、気軽に様式という成果を捨ててしまったのかというと、そこには当時急速に発展しつつあった科学技術、合理性への期待があったのだと考える。きっと科学技術なら・・・科学技術なら何とかしてくれる!アルゴリズムという概念が当時あったかどうかわからないが、それに近い何かが建築の形を一つに決めてくれる。その上、「こういう形にしかなりようがなかったんだ!」という言い訳、いや理論を構築してくれるのではないかという期待があったのではなかろうか。この科学技術への楽観的な期待には、社会主義と通じるものがあると感じているが、それをここで触れるとややこしい。

ところが、科学技術は、建築の形を一つに決めてくれるどころか、逆に多くの選択肢を与えてくれるという、ある種ありがた迷惑な形で建築家の仕事に貢献してくれることになる。モダニズムは、結局のところ、様式という成果を奪いはしたけど、それに代わるものを遺してくれはしなかったんだ。ここで、建築家たちは途方にくれ、なんやかやとそれに代わるものを探したけど、いいものが見つからなくて現代にいたってるわけよねん。


そんなわけで、現代では誰も「こういう形にしかなりようがなかったんだ!」とは言ってくれないので、建築に関わる人間は、なんとなく不安にかられながら仕事をしていかなきゃいけない。と、ぼくがぼくの頭ん中で思ってるだけだから、気にしないで。