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「イクメン、弁当男子」はなぜ出世できないか、をパクってみたよ

雑感

久々にホッテントリ入りしたのに、某社長のイクメン、弁当男子disの炎上人気に遠く及ばないので、うらやましくなってネタを丸パクリしてみる。

そもそも社長なんだから、出世する奴もしない奴も自分で好き勝手に決めればいいわけで、そういう意味では先日プーチンに世界がいつ滅びるのか聞いてるのとおんなじくらいアホくさいわけですな。プーチンがボタン押したら終わるんやろ?世界。

そういうわけだから、ぼくが伊・・・じゃないや某商事の社長だったら「オレ、イクメンとか弁当男子とか嫌いだから、出世させない」と書いて終わりなんだけど、まあ仮に幾ばくかの原稿料をもらってその理由を書けと言われたら、もうちょっと書きようがあるだろうよ、と思ったので、ゴーストライターになったつもりで書いてみる。

  • 男女平等とは切り離して考えなければいけない問題

どんな会社でも同じだろうが、仕事を進めていくためにはうまく問題を切り分け、抽出する能力が必要になる。社会で起こる問題は、一般的に複雑であるから、それを複雑なまま解決しようとしても、なかなかうまくはいかない。ここでは、男女平等という社会に広く浸透した倫理感を隠れミノに、切り分けられないまま放置されている、ある問題を取り上げて、考えてみたい。それは、家庭内での役割分担についてである。

かつては、「男は仕事、女は家事育児」と言われたが、今はそういう時代ではない。女だから、男だからという理由で、その人その人の適性も考慮せず役割を予め決めるということは許されない。

しかし、だからといって、役割分担そのものを否定する人がいるが、これはまさに、問題の切り分けができていないのである。男女平等という倫理観から否定すべきであるのは、男だから、女だから、という決めつけの部分であり、役割分担そのものではない。

  • 役割分担において「女性の社会進出」を聖域化してはいけない

わたしたちの生活が、今のように便利なものになったのは、社会の中で、それぞれがその能力・適性によって役割分担をしてきたからである。農業をする者、牧畜をする者、鉄を鍛えて道具を作る者。それぞれ専門特化した仕事を持つことで技術を高度化させ、向上した技術の成果物を持ち寄り交換すること、つまり経済活動によってその高度化の恩恵にあずかってきた。役割分担は必要だ。

家事と言う相当量の労働を、夫婦で機械的に平等に分担することは、一般に効率の低下を招き、不合理である。お互いの能力・適性を客観的に、かつ冷静に判断し、二人で十分に話し合ってその分担を決めることがよいことは言うまでもない。

翻って最近の世の中を眺めてみると、「イクメン」「弁当男子」なる言葉が生まれてきているようだ。彼らは、「わたしは旧来の男性の役割、女性の役割にとらわれない価値観をもっていますよ」というメッセージを行動で表現しているのだ、とまでは言わないものの、新しい価値観を、新しい役割分担のあり方に短絡的に結びつけてしまうやり方は、結果として問題の切り分けを難しくしてしまっていると感じている。

繰り返しになるが、否定されなければならないのは、男だから女だからという理由で予め役割を決めつけてしまう姿勢であって、役割分担をすることそのものではない。ともすれば、男女平等や女性の社会進出といった言葉は、聖域化し、思考停止に陥りがちなものである。そうであるがゆえに、問題の切り分けを難しくするようなメッセージ性の強い行動・現象には、より慎重な態度で臨まなければならない。

  • 夫婦が共働きしなければ食べていけないのが間違いだ

一方で、現在の労働市場を眺めてみる必要もある。もし現在、労働力が圧倒的に不足していて猫の手も借りたい社会情勢なのであれば、家庭内の仕事も聖域にすることなく徹底的に分業化し、弁当は弁当屋に、育児は保育園に、その他の家事も専門家に任せた方が良いし、われわれ企業側も、そういう分業化が徹底して実現できるよう、手当などを充実し、あるいは賃金そのものをアップさせているだろう。

しかし、現状はそうではない。多くの非正規労働者が解雇の憂き目にあい、学生たちは厳しい就職活動に苦しんでいる。もちろん、雇用のミスマッチという問題も指摘されているのは承知しているが、これは概して労働力の供給過剰だと言って差し支えないだろう。さらに、保育所では待機児童という、市場の原理では説明できない問題も起きている*1

こうした諸々の現象は、一つの大きなメッセージを発している。それは、労働市場に出てこなくとも生活に支障のない方は、出てこないでくださいということだ。もし、一世帯で夫婦のどちらかが労働市場に参加すれば生活が成立するのであれば、二人とも出てくるのはやめてください、仕送りで生活できる学生さんは、学業に専念してください、と。

一人分の収入で生計が成り立っているのに、より豊かな生活を営みたいという理由で、夫婦とも、あるいはその子どもまでも働くということが現実にはある。また、夫婦ともに才能に恵まれ、社会にその才能が求められている方も多くいらっしゃることと思う。しかし、実際のところこうした場合に、一世帯の中での二人目、三人目の収入には、実質的に生活するためのお金は含まれず、言い方は悪いがお小遣い的な性格が強くなってくるのだと思われる。こうした、お小遣い程度を得られればよいという方が、世帯の中で主に生計を維持するために働く方と同じ労働市場で競争したらどうなるか。当然、低いほう、お小遣い程度の水準まで賃金は下がり、生計を維持できなくなる人が出てくると考えられる。また、単純に労働力の供給過剰にも拍車がかかることは言うまでもない。

もちろん、それが低賃金化の主要な原因だと言いたいわけではなく、そういう側面もあるということだ。過当な競争にさらされて、賃金低下が進めば、それまで一人働けば生計が成り立っていた世帯でも、二人目、三人目の働き手を必要としてくる。こうなると、労働市場のデフレスパイラルだ。一世帯の中で、一人働けば生計が成り立つ状況と、二人働かなければならない状況と、どちらが望ましいですか?と問われれば、どう考えても前者であろう。

しかし、現状では、世帯の中で何人が働けば幸せに生活できるか、という問いは正面から立てられることはなく、男女平等、女性の社会進出といった言葉の陰にたたずんでいるのである。残念ながら現在は、一人働けば生計が成り立つ社会に向かってインセンティブを与えるような制度は整備されていないが、新政権が成立せんとする今、こうした動きが本格化してくることを心から望むものである。

  • 商社マンなら考えなければならない

われわれは商社である。より良いものをより安く買い、高く売るのが仕事である。しかし、それは不当に安い値段で買い付け、不当に高い値段で売りつけるということでは決してない。分業化、専門家が高度に進み、高品質な成果品が高い効率で生み出されている場所と、それがあまり進んでいない場所をともに探し出し、前者から後者へ、モノやサービスを移動させることによって、われわれの利益は生み出されている。

商社マンたるもの、常にこうした視点を持ち、世の中を見渡していくことが求められるのであって、それは自らの家庭内であっても例外ではないのである。「イクメン」「弁当男子」、そう呼ばれる彼らが、自らの頭でよく考え、自分がその役割を担うべきだという結論に至ったのであれば、言うべきことは何もない。子どもと一緒の時間を過ごすこと、料理をすることをプライベートの楽しみとすることは、素晴らしいと思う。しかし、もし彼らが、家庭内の役割分担という問題について深く考えたのではなく、世の中の流れになんとなく追随しているだけだというのであれば、少なくとも私どもの会社で出世するのは難しいだろうと、私は思う。

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ってな感じかね。うーん。いやこれやっぱデリケートな話だから、どんな書き方しても炎上するような気もしてきたな。

*1:保育所の托児料が安すぎるのだろうが・・・