日本の都市は空洞化も縮小もしない。輸出されている

建設・不動産業界というのは斜陽産業といわれて久しく、もう国内には新しい建造物は要らないのだ、というのがある程度の共通認識になっていると思う。だから、われわれ建設・不動産業界にいる者は、どんどん海外に出ていかなければ、食べていはいけないのだ、と。

実際、海外に市場があって、そこで稼いでいけるのであれば、どんどん行くべきだと思うし、また日本の建設・不動産業には、これまで先進国として培ってきた技術・ノウハウがたくさんあるはずなので、それを生かして海外に活路を見出すことは現にできており、おそらくこれからもできていくのではないかと思っている。

それはそれとして、ここでは一つの視点に基づいて考えてみたいと思う。すなわち、日本の都市は輸出されているのではないか、と。

  • 2003年問題はなぜ起こらなかったか

2003年問題という言葉が、かつてあったのをご存じだろうか。いや、コンピュータが誤作動を起こすというのは、2000年問題だ。

2003年ごろ、六本木ヒルズや汐留、品川など、大規模再開発が同時に起っていた。東京都心にはオフィス床面積が大量に供給され、それは需要を大きく上回り、空室率の急上昇をもらたすと予想されていたのだ。これを、当時騒がれていた2000年問題にかこつけて、2003年問題と呼んで警鐘を鳴らす人が少なからずいたのである。

ところが現実を見ると、2003年問題は、大きな現象として顕在化はしなかった。それはあたかも、2012年12月21日に世界が滅亡しなかったように。しかし、東京都心に大量の床面積が発生したのは事実だ。では、なぜ予想が外れ、東京は空洞化しなかったのか。この問いに対する端的な答えは、いまだに提示されていないように思う。

考えるに、ひとつには、都心部のかつてオフィスビルであったものが、マンションに建て替えられていっている現象。オフィスと住宅という用途間で床面積を融通し合うことにより、オフィス面積は減少し、2003年以後も需給バランスを保つことができたというストーリー。その一方で、かつてニュータウンと呼ばれた、いや今でもそう呼ばれている郊外の団地には、空きが目立っている。つまり、郊外から都心への人口流入が起っているために、2003年問題は起きなかった。2003年後も、都心部の再開発は継続しているので、この傾向は今後も続く。したがって、どんどん都市は縮小していくのだ、と。

これもまた、真実の一部であると思う。しかし、いま一つ実感がわかない、いや想像が伴わないと言ったらいいのだろうか。都市が縮小するという現象について。

  • 都市は本当に縮小するのか

都市が縮小するということは、言葉どおりに捉えれば、郊外にあった建物などが取り壊され、更地に戻るという現象を想像してしまう。しかし、わたしの知る限りでは、そういった事例はほとんどなく、もちろん空き家が多くなったニュータウンでは大きな方向転換が迫られ、多くの人の努力がそこにあったものとは思われるが、いずれにしろ結果として、ニュータウンは更地にはならず、今も何らかの形で、都市の一部として機能している。

おそらく、都市の縮小と言っている人は、こう反論するだろう。すなわち、都市の縮小は、今起こっていなくとも、いずれ起る未来の現象なのだ、と。

しかし、その言葉には、深くうなずくことはできない。2003年問題はすでに現在からみれば10年の昔。それが都市の空洞化として観察されないのであれば、その代替として都市の縮小が、たとえ部分的でも見られるはずなのだが、それがいま一つ顕在化していない。2003年以降も、ミッドタウンや丸の内再開発など、床面積の拡大は継続的に行われてきている。10年間も起らなかったものが、これまで特に予兆もなく、これから急に起り始めるという主張には、どこか無理があるのではないか。

では、都市が縮小も、空洞化もしないとしたら、それはどうしてなのか。

  • 外国人の増加

そう考えると、思い当たるのが外国人の増加である。この10年で、池袋には中国人街ができた。大久保のコリアンタウンも、おそらく拡大しているんだろう。郊外の工場地域には黒人労働者の姿もよく見かける。

これは、「東京都の統計」というページから拾ってきた外国人人口の昭和54年からの時系列データをグラフ化したものである。そんなに増えてなかったらどうしようかと思ったが、ほぼ一貫した増加傾向が見て取れるので、まあ、東京の外国人は増えていると言っても嘘にはならないのだろう。

ここで、ひとつ仮説を立てたい。都市が縮小も、空洞化もしないのは、できた隙間隙間に、外国人が入り込んで、都市構造を内側から支えているという仮説を。もちろん、供給され続けた床面積と、外国人の増加分とのボリューム比較についてだとか、いろいろと検討すべき点はあるのだと思う。しかし、都市が縮小も空洞化もしないでいられる理由の一つとして、外国人人口の増加をあげることには、それほど抵抗はないのではないか。

  • 輸出される都市

同じ東京あるいは大阪という都市で行われた開発であっても、10年前と今とでは、市場参加者の国際性ははるかに高まっている。日本の都市の中に、外国人が多く住むということは、すなわち外国人が日本の都市のインフラ、建造物、その他諸々をお金を払って使っているということであり、建設業・不動産業の扱う商品の一つが「都市」であるとするならば、われわれは日本の都市を開発することにより、すでにグローバル市場に打って出ていたということになる。

つまり、都市を輸出していたのだ。

しかし、ようやく最近になって認識されたように、日本の都市は老朽化しつつある。当然ながら、都市が老朽化すれば、生活が不便になるだけでなく、そこに暮らす人の安全・安心をはじめ、多くの問題につながることとなり、都市の価値・賃料が下がることになる。つまり、輸出品としての都市が安くなってしまうのだ。安くなった都市に、貧しい人たちが外国から多く移り住めば、都市はスラム化の様相を帯びてくる可能性も否定できない。これを防ぎ、都市を高く売り続けるためには、維持管理はもちろんのこと、時に大胆な再開発も必要だということになる。

つまるところ、日本の建設・不動産業界というのは、既にグローバル市場と化しているのである。開発という行為が行われている場所が、国内であるか、海外であるかによってではなく、そのプロジェクトの生み出すマーケットへの参加者がいかに国際化しているかという視点でもって、グローバル化というものは評価されなければならないだろう。

冒頭にも述べたとおり、海外に人が出ていくことも、一つの活路である。しかしながら、日本国内の都市を、グローバル市場で高い評価を得られるものに保ち続けることもまた、国際化時代の建設・不動産業のあり方ではないだろうか。

  • 都市は縮小「させる」必要がある

以下は蛇足である。実のところ、ここまでの議論は、東京、大阪といった大都市を念頭において行ってきた。もし、地方都市のいくつかにおいて、その老朽化のスピードに、再開発の追いつかないといった事態が起るとすれば、どうなるか。

都市を縮小「させる」、すなわち建物を取り壊して、適切なスピードで更地に戻していくことができれば都市はその規模に応じた価値を維持しながら小さくなっていくことができ、これはまだ幸せであると思う。最悪のケースとして、価値を落としてしまった都市は、海外移民に安く買い叩かれ、その一部、あるいはすべてを乗っ取られる可能性も考えておかねばなるまい。完全に移民に乗っ取られた地方都市へのインフラを、日本の税金で維持するというような時代になることも、最悪の場合には十分に考えられるのである。

そうなると、都市が縮小するというのはむしろ理想的なありようであり、人為的に縮小「させる」という難しいオペレーションは、必要とされるものになっていくのだろう。昔の人は、そんな難しいことはやりたくないということで、「スプロール」という言葉を使って、都市の拡大を強く警告したのだが・・・。

なお、都市の縮小がスムーズに行われるためには、建物を壊さなければならない。これについての考察は、以下の別エントリで行っているので、お時間あればご参照いただきたい。
ぼくたちが知りたいのは、築○年じゃないんだ - concretism


本エントリは、第2回PROPSプロトーク 開発・オペレーション−日本の都市開発モデルは海外展開できるか−における議論に着想を得ています。