職住近接というひとつの理想が、捨てられた

理想が理想でなくなるというのは、かなり大きな出来事なのではないかと。

JRの主要駅まわりの開発ラッシュの勢いが止まらない。東京駅、大阪駅、名古屋駅。それぞれ、にぎわいの中心としては新宿・渋谷、ミナミ、栄など、都市の名前を冠した「看板駅」前とは別だった三大都市が、看板の裏側に超高層のオフィスビルをバンバン建てている。

その背景として、わたしたちが「職住近接」という理想を捨ててしまったことがあるのではないか、と。

もちろん、今でも職場から近いところに住みたいと思っている人はたくさんいるんだろうとは思う。豊洲や東雲には、震災でいっとき勢いを弱めたとはいえ、超高層マンションがいまだ増殖中だし、山手線の内側にだって高級マンションは建てられている。

しかしながら、都心へ向かう満員電車はその惨状を一向に改善させることはなく、駅のホームには人がごったがえし、挙句の果てには線路に転落する事故が後を絶たずホームドアの設置がむなしく叫ばれている現状は、職住近接というひとつの理想が、それほど多くの人に共有されてはいないのではないかという疑念を抱かせるのである。

ひと昔前までは、そうではなかった。SOHO、スモールオフィスホームオフィスとフルネームを書かないと、今では何のことだかわからない人もいるのではないかと思われるほどの死語だが、インターネットの普及によって多くの人が集まって仕事をする必要はなく、自宅で仕事をする時代が来ると、ほんの10年ほど前までは多くの人々が本気で信じていたのだ。都心に人が集まらなくなればオフィスビルはからっぽになるだろうから、それを改修して住宅に用途転換(コンバージョン)することにより、職住近接を実現しよう、などという絵空事が聞かれたのも、その頃の話だ。

実際に、通信技術は当時考えられていた水準に達した。達したものの、現実にあらわれたのはSOHOではなく、ノマドであった。人々は自宅で仕事ができるだけの通信技術を得たにもかかわらず、あえて自宅を仕事の場として選ばず、スタバでキリッとやっているのである。ここに、職住近接という理想はない。

もう一つ傍証をあげるとすれば、ここ最近のヒット商品(サービス)である。iPhone、モバゲー、グリー。電子書籍がこれに続くだろうか。これまではネガティブにとらえていた移動時間を、逆に肯定的にとらえる動きは、もはや隠れなきものである。通勤電車の中で話を聞けば、当然、これらは暇つぶしだし、仕方なくやっているんだと言うだろうが、通勤時間を短くしたいというモチベーションを低下させていることには変わりはない。

職場は自宅から遠くても良い。そう割り切ってしまえば、迷いはなくなる。新幹線で何百キロ先から移動してくるのに便利な場所に、これでもかと言うほどの床面積をオフィスとして供給することは、おそらく正解なのだ。

理想が理想でなくなれば、都市は姿を変える。いま、JRの主要な駅前で起っていることは、そういうことなのだと、私は思っている。