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安全とコストの関係について

建築

安全はコストの問題だ。

ものごとをより安全にしようと思ったら、お金なり、時間なり、手間なりをかけなければならない。コストをかければかけるほど、安全にはなる。ただし、コストをかけたほどには安全にはならなくなっていく。


たとえば、落ちたら死ぬような崖があるとして、崖があることを知らずに落ちる人がたくさんいるとする。

そこに、「この先、崖あり。危険」という立て札を立てる。かかるコストは大したことないけど、それを読んだ人は、まず落ちない。コストに対する効果は大きい。

しかし、立て札を読まない人は落ちる。そこで、さらに、ロープを崖前面に張り巡らせる。ロープに気付いて命拾いする人もいるだろうけど、ロープのあるところまで来る人は、立て札を読まない人に限られる。効果は立て札ほどではないと言える。

それでも、ロープを超えて落ちる人もいるかもしれない。それを防ぐために、さらに、高い柵を作ったとする。立て札を見ず、さらにロープも超えてしまうような人には有効だが、そういう人は少ないだろう。

さらに・・・というようなことをいろいろと考えてみると、安全とコストの関係は、だいたいこんな感じになると思われる。


さて、ここで地震に対する建物の安全を考えてみよう。

コストをかければかけるほど、建物の安全性は増す。しかし、コストの割には安全にはならなくなってくる、という関係性はここでも保たれているはずだ。

安全の度合いの一つの基準として、稀にしか起らない大きな地震が来ても、命だけは助かる程度の安全性、というものを置いてみる。

例えば、命だけは助かる基準の2倍のコストをかけたとしても、大地震が来たときに被る建物の損傷の度合いは、命だけは助かる程度の安全性しか持たない建物の場合と、それほど大きくは変わらないことが予想される。

地震による建物の損傷の度合いが、そのまま使っていける程度のものであれば問題ない。しかし、コストをかけたほどには安全性は増していないので、多額の補修費がかかったり、傷みどころが悪くてやっぱり建て直さなければならなくなる場合も考えられる。

そうなると、合理的な人であれば、こう考えるのではないだろうか。せっかく2倍のコストをかけたのに結局建て直すくらいだったら、命だけは助かる安全基準で建てておけば、残ったお金でもう一度同じ建物を新築で建て直すことができたのに、と*1

もちろん、死んでしまっては、もう一度建て直すこともできないので、稀にしか起らない大きな地震が来たときに命だけは助かる安全性というのは最低基準になる。ただし、それを大きく超える安全性を求められるケースというのは、合理性の面から、ごく限られた場合になるのである。

*1:解体撤去費等は考えないか、適当にどこかに含まれていると考えてください。考え方の話なので