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コンクリートからどこへいくんだろう

建築

みんな大好き勝間和代さんが、菅さんに「デフレ止めようぜ!」って言った件が話題ですね。そこまではいいとして、どうやってデフレを止めるかが問題なのですが、勝代さんの提案はこんな感じ。

Q 非常に魅力的な提案だが、それは要は、貨幣発行量を増やし、国債を発行すると言うことか
A そうです。モノに比べて、貨幣が足りない状況なので、国債と引き替えに貨幣を発行し、その国債を日銀が引き受けて、市場に供給する。その収入を、環境、農業、介護など、いま投資が必要な分野に投入します。
国家戦略室への提言「まず、デフレを止めよう~若年失業と財政再建の問題解決に向けて」 - 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!

普通は税金を財源とするところを、国債とするってところに目新しさがある、ということなんでしょうけれど、結局は古典的な「財政政策」によって景気を刺激しようということですよね。私としては、孫にあげる気もないおカネをタンマリとタンスの中に溜め込んでいる、おじいちゃんおばあちゃんからむしり取って財源としたほうがずっと効果的だと思うのですが、敵を作りたくないのでそんな思いは決して表には出しませんし、今回の本題でもありません。

むしろ問題としたいのは、「環境、農業、介護など、いま投資が必要な分野に投入します。」とさらっと言ってのけているところ。環境、農業、介護はそれぞれに複雑な事情を抱えているとは思うのですが、さて、お金があれば解決する問題だ、という話はあまり聞かない気がします。いや、もちろんお金があれば解決する部分もあるとは思うのですが、お金を誰に渡して、どうやって使うのかということを含め、構造的な変化が必要であり、それにはまだまだかなりの量の知恵と時間が必要である、というのが私の認識です。


さて、ここから私のポジショントークが始まりますので、お嫌いな方は退出ください。また、よい子は画面からはなれて、部屋を明るくして見てください。


従来、不況下において、財政政策として起こされる公共事業の対象は、ニューディール政策を持ち出すまでもなく、建設業でした。その理由の一つとして、直接的な雇用の創出がある、ということについては、前回のエントリで述べました。今回は、また別の理由について述べてみたいと思います。


それは、「でっかくて重い」からです。


いや、河田弟の話じゃありません。ましてや兄のほうでもありません。建設業の扱うモノが、ということです。そんなんわかっとるわ!と、言われそうですが、財政政策のターゲットとして、「でっかくて重い」ことは、かつて非常に重要な要素でありましたし、現在でも非常に重要であるのです。

かつて、日本の産業構造が重化学工業を中心としていた時代、「でっかくて重い」建設業への公共投資は、これら産業への相乗効果の大きさという点で、非常に高い評価を得ていました。しかし、その後日本が第二次産業から第三次産業へとその中心を移していくに従い、「でっかくて重い」ことの「絶対的」な意味は小さくなっていきました。

一方で、経済のグローバル化が進展し、世界中のモノが安く手に入るようになるにつれ、「でっかくて重い」ことの意味は「相対的」に大きくなっていくのです。日本という国が公共事業としておカネをばら撒く以上、その効果は日本国内で最も大きくなるものとしたい。しかし仮に、日本政府が携帯電話のように「ちっちゃくて軽い」モノに投資するとして、それを請けた会社が、海外で製造して日本へ輸送する(あるいは輸送せず海外で販売する)ことにより、利益を最大化したとしても、国としては一民間企業のやり方に口出しすることはできないでしょう。グローバル経済の下では、せっかく政府が投入した資金が、あっという間に世界中に拡散して行ってしまい、日本国内、地方、地域といった特定の箇所にもたらされる経済効果は限りなく薄くなってしまうのです。

それに対し、建設業の扱うモノは「でっかくて重い」。コンクリートの比重は2.3。鉄はさらに重くて7.85もあります。たとえ短い距離でも、運搬には大きなコスト(貨幣だけでなく、時間や労力も含む)がかかります。このため、国内のある場所の建設工事に投資されたおカネは、その現場のできるだけ近いところに落ちるよう自然にプレッシャーがかかるのであり、国内の公共事業費が海外に「漏れる」可能性は、他の産業よりもかなり小さくなるわけです。もちろん、交通機関や情報技術の発達により、「漏れる」量、可能性は大きくなる傾向がありますが、今後は先述の勝間氏の言うとおり「環境」という新たな圧がかかってくるため、CO2を多量に発生する運搬コストを考慮すると、海外、遠方に部材等を発注する可能性は、逆に小さくなっていくことも考えられます。

建設材料の中でも、多くの場合最も大きな体積を占める生コンクリートは、運搬距離にさらなる制限がかかります。なぜなら、当たり前ですが、生コンは時間がたつと固まってしまうからです。練り混ぜから打ち込み完了までのタイムリミットは、気温が25℃以下の場合120分、25度を超える場合90分です*1。つまり、生コンを製造する工場が、工事現場から車で60分以上かかるようでは、現実的にかなり厳しいということになります。おカネは国内であることはもちろん、工事現場のかなり近くに落ちるという点で、コンクリートは究極の地場産業と言えるのかもしれません。

「コンクリートから人へ」。民主党は、このキャッチコピーを掲げて先の選挙を戦い、政権を手に入れました。「人へ」は、もちろん社会福祉政策を充実させていく必要性を訴えているのでしょうが、これには景気回復策を同時並行で進めていく必要があり、どちらが重要であるとはいえない、というのが私の考えです。ところが、民主党は「コンクリートから」という言葉で、社会福祉政策と引き換えに、何かをおろそかにするということを強調しているわけであり、それが、広くは景気回復策全体、小さくは地域産業の振興の軽視を意味しているように、私には思えてならないのです。

実際、このキャッチコピーを意識して、勝代は、財政政策の対象として「環境、農業、介護」などをあげた、というより、あげざるを得なかったと見ることもできるでしょう。これはキャッチコピーにより民主党政権が選択できる政策の幅が現実的に狭まっていることを意味しています。コンクリートから脱却して、他に有効な景気回復策を持っているのであればいいのですが、今のところそういった策はひとつも出てきていないように、私には思えます。

6日の参院予算委員会で(略)首相も「申し訳ない」と陳謝。(略)「人の命を守るためにコンクリートは必要だ。コンクリート業界の人に頑張ってほしい」とエールを送るしかなかった。
ページが見つかりません - MSN産経ニュース

建設族議員に攻められてあっさりと陳謝した鳩山首相ですが、もし彼がコンクリートの意味するところを十分に考えた上でこのキャッチコピーを使用していたのだとしたら、こんなにも簡単に謝ったりはできないはずです。情報の価値が上昇する一方で、モノとおカネの価値が相対的にどんどん下がっていく時代に、有効な景気回復策を考え出すのは容易なことではありません。コンクリート/concreteが英語で「具体的」を意味することは、示唆的だと、思うのです。

もちろん、その目的物が「ハコモノ」と呼ばれるような空虚なモノになってしまった過去については反省しなければなりませんが、この点について批判を受けなければならないのは、政策そのものではなく、企画・設計のプロセスであり、これはこれで大きな問題なのですが今回の本題からはずれるので、また別のエントリとします。

*1:土木では、25℃未満、25℃以上です。なんで微妙に違うんだろ。あと、高強度は気温に関わらず120分な。