ゼネコンがザ・メンバーシップ型雇用である件

前回、濱口桂一郎氏の「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ」について書いたんですが、ご本人から感想をいただきました。ありがとうございます。しかし、岩波新書の著者から直接感想文に返事もらえる時代ってすげーな!お礼にもう一回載せときます。

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)

さて、この本の中で示されている「メンバーシップ型雇用」と「ジョブ型雇用」というのは、日本の建設業界を語る上で避けては通れない概念だと思うんです。なぜなら、建設会社の内部に土木・建築の施工部門のみならず、設計部門や研究部門などを抱え込む「ゼネコン」という企業形態は、メンバーシップ型雇用という日本に特徴的な雇用システムがあって初めて成立するものであるように感じるからです。

むしろ日本の雇用形態がジョブ型ではなくメンバーシップ型であるのは、建設会社のせいであるのかもしれません。日本で近代的企業というものが成立していく過程においては、西洋の企業のシステムを忠実に模倣したというより、古くからある会社っぽいものを原型として発展していったというのが実態だと思うのですが、日本が近代化を急速に進めていった明治時代、全国各地に一番多く身近に存在した「会社っぽいもの」は建設業者、というより大工さんであったのではないでしょうか。「よくわかんねえけど、"かんぱにー"ってのは、大工の○○組みてえなもんだろ?」というような感じで。*1つまり、大工さんが設計から施工から、CMPMから何から何までやってた名残がゼネコンという形であり、これが日本での「会社」の雛形になったのではないか、と根拠もなく考えたわけです。

そう考えると、メンバーシップ型雇用というのは、大工さんの徒弟制度の発展型であり、その最大の利点は社員教育にあるといえます。ジョブ型雇用システムのアメリカ建設業界では、例えば積算→購買→現場監督→監理、と渡り歩くことは、少なからず転職することを意味しますが、日本だったらゼネコンの中でおおよそ全部可能です。建設技術に限って言えば、ジョブ型よりも日本のメンバーシップ型ゼネコンの方が、効率的に、かつ生活にリスクを生じさせることなく習得できる環境にあると言え、現に日本の建設技術が非常に高いレベルにあることは、これを裏付けていると思います。

確かに、キャリアデザインの自由度という点では、ジョブ型雇用のほうに分があると思います。しかし、建設技術を習得するに当たっては、自分で作るキャリアデザインより、上司が行う「教育的」配置転換のほうが、優れている場合が多いように感じます。教育に限らず、自らの経験をもとにして技術を習得していく建設業では、経験をより多く積んだ人の判断のほうが信頼性が高いのと思うのです。

建築業界は、ヤクザから証券マンまで幅広い肩書きを持つ人が関わっています。なので、変なルートを選んでしまうと一生人生詰みますんで、気をつけて歩いてください。
いつのまにか建築学科の偏差値が工学部最低になってることについて 建築・現場の歩き方

おっしゃるように、こと建築業界に限って言えば、あちこちに人生詰む選択肢が待ち構えており、現に多くの建築学科生が好んで変なルートを選んでいますが、本人の自由な選択に基づくものなのでどうしようもありません。

こうした状況の原因の一つとして、日本の建設業界においてはゼネコンの外にある情報があまりにも乏しいという事実があります。いわゆるB2B取引が主体であるために一般消費者に情報を提供する必要性も義務もないゼネコンが、自己完結的な組織の中で情報を囲い込んでいる。というよりも、先述のとおり経験工学である建設業では、データとして外に出せる情報なんて大した価値を持っておらず、「人」という形でしか表しようがないというのが正確なところだと思います。そんなわけで、建築・土木で食べていこうと考えている学生さんは、机上で考えているよりもゼネコンの人に会いにいって話を聞くことを強くおすすめします。

さて、このように、ザ・メンバーシップ型雇用制度というべきゼネコンが、いわゆる多重下請け構造に支えられている点について考えていきたいと思いますが、長くなったので別エントリーで。

*1:このように言うと、司馬遼太郎先生の、近代企業竜馬起源説を否定するみたいだけど、日本の起業の原型が「請負業」にある、と表現すれば角が立たないかも。