近代建築の保存に関する提言

結論:アニメに出せ


以上。
タイトルはかっこよかったのに、一文目でダメになった。ともあれ、一応理由付けを。


これまで、近代建築の保存運動というものは、はかばかしい成果をあげることはできていない。東京・大阪の中央郵便局はマスコミの注目を少しでも集めたからましなほう。各所の同潤会アートをはじめ、数々の名建築が保存運動の甲斐なく、取り壊されたり、無惨な姿に変えられてしまった。東大教授の御歴々を含む錚々たる人々の手による保存運動が、こうまで社会から無視されるのはなぜか。


近代建築というのは、はっきり言って価値がわかりにくい。当時から現在に至るまで、建築に対する考え方があまり変わっていないというのも、その理由のひとつだろう。モダニズムと言う根底、すなわち装飾を廃し、機能・構造に忠実・・・というようなものが同じだから、カタチとして見た場合、重要文化財級と言われるようなものも、最近そこらに建った雑居ビルも、興味のない人には同じに見える。価値ある近代建築を取り壊そうという人が現れることも、ある意味仕方がないと言える。

こうした中で、これまでの保存運動は、取り壊そうとする人々の価値観を変えようとするものだった。この建物は、技術的・文化的・思想的に見て進取性に富むものなのですよ、と優しく諭してやれば、知識を得てその人の価値観が変わり、取り壊しをやめてくれるだろう、と。しかし、それは方法論として根本的に間違っている。

近代建築に高い価値を見出そうとするものの見方そのものが、所詮マニアックなのだ。すべての人々とその価値観を共有しようなどおこがましい。自分たちの価値観を無理やりに、しかも上から目線で押し付けてくるのはウザい、かつキモい。それは、構造的に、ヲタの布教活動と同一なのである。しかし、「保存活動家」たちは、教養という錦の御旗をかかげ、自分たちのヲタ性をまったく認識できていない。おかしなプライドが、価値ある建築物の保存と言う本来目的を遠ざけてしまっているといえよう。

建物の保存が本来の目的であるのだから、ただの手段であるところの価値観の共有などにこだわる必要は微塵もないはずだ。理由はどうあれ、その建物を残したいと切実に願う人を増やしたいのであれば、目下のところもっとも現実的かつ有効な手段は、冒頭に述べた「アニメに出す」、すなわち聖地化である。

さいわいにして、保存すべき近代建築には、物語の舞台に求められる非日常性と日常性とを兼備えているものが多い。また、ヲタクはアニメに登場するあらゆる事物に関して、尋常でない知識欲を発揮する。保存運動家が現在、押し売りに行って嫌われている知識は、ここに求められるものとなるわけであり、需要と供給のマッチングが図られるわけである。さらに鷲宮神社のように地域経済の中心的存在とすることができれば、経済的、経営的問題がハードルとなる保存運動の目標実現にとって、大きな力となることであろう。

というわけで、鈴木博之は嘆願書を書いてるひまがあったら京アニへ足を運んで、次なるアニメの舞台設定を入念に打ち合わせるとともに、ゲニウスロキ萌えキャラ化計画でも進めとけ。

参考文献