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コーポラティブハウス復活の時がきた。かもしれない

建築

コーポラティブハウスというのは、設計段階から住人が参加してつくる集合住宅のこと。それぞれ自分の要望通りのプランが実現できる、ということで「自由」とか「個性」とかいうものがもてはやされた80〜90年代に、そこそこ話題になり、実現もした。

しかし、人間というのは分を越えた自由を与えられても困惑するばかりで、多くの人はそこに費やされる膨大な時間と労力、そしてお金に見合うほどの価値は見いだせなかった。バブルの崩壊というのも、コーポラティブハウスが下火になってしまった原因のひとつと言える。

もっと現実的な問題として、「コーポラティブ」していかなければならない未来のご近所さんとの人間関係がある。夢のマイホームを作り上げるべく、当初は意気投合したグループであっても、話し合われるべきはお互いの権利と金銭そのもののゼロサムゲームであり、当然ながらギスギスする。こんな人たちと一緒に暮らすくらいなら、と、ひとりまたひとりと、離脱者が増えて最後にはプロジェクトが破綻に至るケースというのも少なくなかった。

あまりうまくいかなかったコーポラティブハウスだが、思わぬところで、かなり近似的なプロジェクトを目にすることになった。この記事である。

“日本初”、住民による住民のためのマンション建て替え:日経ビジネスオンライン

マンションの建て替えは、近い将来社会問題に必ず発展するだろう、という予測に私も同意する。この記事は、そこで取られるべき手法は、好むと好まざるとに関わらずコーポラティブハウスのそれになるということを示唆していると思うのである。グループとなるのは現在のご近所さんたちである。気の合わない人もいるだろうが、それは現在も同じこと。よくもならないが悪くもならない。また、現状において住むところに困っているわけではないので、十分な時間も取れる。権利と金銭の問題は厳然として残るわけだが、逆に言えば問題はそこに集約されたと言っていい。

もちろん、本来のコーポラティブハウスのメリットである設計の自由度も手に入れることができる。購入当時、子育てを想定して選んだ住戸に住む人は、子供たち孫たちを送り出した後に残された空き部屋の面積を売り払い、現在の生活にフィットした空間と、ある程度のお金を手に入れることが(もしくは建て替え時の負担を減らすことが)できる。バブル期のコーポラティブハウスのような夢はないかもしれないが、バリアフリーや最新設備の恩恵による、それなりに快適な生活を手に入れることができるはずだ。

マンションは現実的には「しかたなく」建て替えられるものであっても、施主である住人がそのようなネガティブなとらえ方をしてしまっては、うまくいく事業もうまくいかない。元ネタの記事のケースは、コンサルやゼネコンは敵だ、という何の根拠もないイメージに踊らされ、変なコンサルに利ざやを持っていかれている新手の振り込め詐欺のようにしか見えない。専門的な第三者を挟むことは正しい判断だとは思うが、どうせ入れるなら、プロセス上余計なコンサルなんかより、素直に大手の設計事務所を頼ったほうがコスト的にも有利であるし、何より楽しさがあるのになあ、などと思った。話が横道にそれた。

ある人は、自分の思い描いた家に住めることを楽しさと考えるだろうし、ある人は所有する床面積を、資産として運用することに楽しさを感じるだろう。それは個々の価値観にまかされている。マンションの建て替えをポジティブにとらえるにあたり、「第二の住処をコーポラティブハウスで」というような売り文句でアピールしていくことは有効かもしれない。

コーポラティブハウスの持つ「自由」というものは、本来このように現実に根ざしたものだったのかもしれない、と今さらながら思ったりするのだ。