東京中央郵便局をめぐるあれこれ

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ファサード保存。今回の東京中央郵便局の建て替えでやろうとしている、いやしてた、といった方がいいのでしょうか、とにかくこの歴史的建築物の保存方法なんですが、どう思いますか?

発想はわかるのです。街並みを保存したいのであれば、都市に面している表皮、ファサードだけ残せばいいのだろう、と。たとえ内装を、骨組みまでも失っても、顔である外装が残れば保存と言えるだろう、と。確かに、構造体は老朽化しているだけでなく、耐震性能も低い。設備系は竣工当初から見れば満身創痍としか言いようのない状態だったでしょう。表皮だけでも残れば御の字、そのような考えに至ったとしても、非難はできません。

しかし、高層部。あの天高くそびえる、モニュメンタルとまで言って差し支えなかろう物体を、たとえガラスで覆っていたとしても、たとえ空が映っていたとしても、「透明で見えない」とは。誰がいうのですか。自分をだまして、街並みを保存したと言い張って、後ろめたい気持ちはないのですか。確かに、実績はあるやり方なのです。いや、実績というより実例でしょうか。数多く先に立つものがあるにも関わらず、そこから学びえたものは少なかったという。


東京中央郵便局の価値は、古さにあるのではありません。古いだけなら、都内にも明治や大正、江戸時代の建築物だって数多く残っています。そして、新聞各紙が伝えているような、モダニズムの傑作、でもありません。モダニズムというには、あまりにも「様式」を志向している。吉田鉄郎の設計による東京中央郵便局の完成は1933年だといいます。同じ時期、ヨーロッパではコルビュジエはすでにサヴォア邸を完成させているし、バウハウスはもうデッサウを追い出されている。

いっぽうアメリカに目を向けると、ニューヨークでクライスラービル、エンパイアステートビルが相次いで建てられた「錯乱」の時代と重なるはずです。ニューヨークの摩天楼は、アールデコを出発点とする独自の「様式」を完成させていた。しかし、吉田はアメリカの新様式に則って東京中央郵便局を設計するつもりはなかったとみえる。ニューヨークのアールデコを思わせるディテールが含まれているようには見えません。もっとも、百尺制限のなかで建てられる中央郵便局が、上に向かって伸びるスカイスクレイパーのデザインと高い親和性を持つとも思えませんが。

丸の内のこの立地に、中央郵便局という権威的建築物を設計する際に、吉田がどのような考え方をしてあのデザインにたどり着いたのか。もしかすると、日記などが見つかっていて、研究者の間ではある程度のことがわかっているのかもしれません。しかし、そこは想像したほうが楽しいのです。逓信省の役人という保守的な地位にあった人物のこと、単なる歴史主義の踏襲という無難な手法を採ることもできたでしょう。しかし、それをしなかったのは、彼の個性か才能か、あるいは時代の空気か。とにもかくにも、張り裂けるような緊張感の中、彼はあのデザインにたどり着いた。

今回の鳩山総務相の一連の動きに対しては、納得いかないところが少なくありません。そもそも、今の今になるまで、旧局舎が壊されることを、建築学会その他各方面から保存が求められていることを知らなかった、などということがあろうはずもないではありませんか。

しかし、私が個人的に不満に思っていることは、一国の大臣たるものが、文化遺産である建築物の価値を、自分で判断できないことをもって、全く恥じ入るところがないということです。「聞くところによると」と前置きしないと、東京中央郵便局の建物を賞賛できないのであれば、日本郵政の経営陣を非難するにも説得力に欠けるのです。東京中央郵便局を残すべきだという判断は、悪くありません。しかし、建築物を守りたいというよりも、日本郵政に対する国民の批判を、自らへの支持に変換したいという下心のほうが透けて見えて、ただの当てこすりにしか見えないのです。

かといって、日本郵政側にも擁護すべき点はひとかけらも見えません。すでに着工している工事を中止に追い込むような連中を、建設業に従事している人間として、支持できるはずがないではありませんか。まちがいなく、史上稀に見る最悪の施主です。正しい手続きを踏んで物事を進めているのであれば、鳩山大臣の無茶な言動に対して反発できなければおかしい。しかし、それをしないところを見ると、ついこの間まで官僚だった人たちが、手続きをおろそかにしてことを進めたと判断せざるを得ません。手続きをさせるのは得意でも、手続きをするのは苦手なのでしょうか。

うだうだ書いていますが、結局のところ今回の騒動の中では双方ともにだめなので、「世論を問う」と言われても、どっちに味方していいかわかりません。どっちがましか、で選べと?

東京中央郵便局は確かにすばらしい建物ですが、すでに十分その役割は果たしていると、私は思います。東京丸の内と言う土地で、利便性の低い建物を無理に保存するのがいい方法であるとは、私は思いません。しかし、ファサードのみを保存して、上にガラスの箱を乗っけて終わりというようなデザインでは、吉田の先取性に対してあまりに恥ずかしいのではないでしょうか。現代の我々が、東京中央郵便局のデザインに引かれる理由として、「様式」に対する再評価があると、私は思っています。吉田の残した建物から、現代の「様式」となるべき要素を取り出し、建てかえられる建築の設計に取り入れると言うのが最良の方法であると思います。

眠いので支離滅裂になっていますが、最後に、「世論を待つ」などという理由で、工事に着工した大成建設はじめ協力会社のみなさんが、被害をこうむることのないよう、祈っております。