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工場萌え、ヴァナキュラー、原風景、ハイテク建築

前回のブクマコメントに「インダストリアルヴァナキュラー」という、言葉がでた。不勉強ながら、初めて聞く語だ。意味を推測するに、インダストリアルなヴァナキュラーなわけだから・・・、工業化時代の原風景と捉えればよいだろうか。工業という風俗に浸された日本のヴァナキュラー。しかし、前回のようなかたちで萌えを定義できるのであれば、ヴァナキュラーや原風景というものも、萌えの一つに含めることができるのではなかろうか。

前回、私が定義した萌えとは、以下のようなものであった。

”萌え”とは、自らの妄想の中にあった概念に非常に近い対象を、見たり聞いたりしたときに、その一致する度合いに対して沸き上がる肯定的感情である。

翻って、ヴァナキュラーや原風景は、萌えの源泉である妄想として、過去の記憶をおくものと言えよう。過去の記憶を妄想と呼ぶことは反発を呼ぶかもしれないが、個々の脳内にあって、無意識的、意識的に変化(主に美化)したりするという点では、記憶と妄想の明確な線引きなど不可能であろう。過去の記憶にもとづく萌えには、ノスタルジーという言葉が与えられていると考えればよい。

残念なことに、「新風景」と題された今回の建築雑誌の特集は、何ら「新しい」価値観を提案をすることができていない。この特集では、現在の日本の都市風景を肯定的に捉えていないにもかかわらず、「新風景」を踏まえてつくり出されるべき未来の風景には、一切触れることができないでいるのだ。

これを、編集者の未熟として切り捨てるのはあまりにも酷である。なぜなら、すでにヴァナキュラー、原風景といったとてつもなく懐かしい言葉が出たように、そこにあるのは過去に打ち捨てられた20世紀の建築理論の手垢まみれの残骸であるからだ。ハイテク建築、形態は機能に従う、ポストモダン・・・そんな、21世紀に使うにはこっ恥ずかしいコンセプトに突き当たってしまう。例としてあげたハイテク建築それ自体が過去を志向したものではないにしても、建築の方法論としては、すでに古い。

では、工場萌えに代表されるような価値観には新しい概念が微塵もないのか。私は、そうではないと思う。

今回のエントリー自体が寄り道みたいになってしまったので、再び次回に続く。