スクラップ&ビルド、繰り返す?/YorN


わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: あなたのマンションが廃墟になる日 (http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/01/post_f6cb.html)


トラバ先に対して私が言いたいことは、既に拙エントリ、貧乏人は家をつくるなにて言ってしまっているような気がするが、ここでは繰り返しをおそれず、さらにその補足を試みたい。ちなみに、トラバ先で紹介されている書籍については未読であることも付け足しておく。

 イギリス141年
 アメリカ103年
 フランス86年
 ドイツ79年

このデータ、建築と環境問題を語る際に必ずと言っていいほど出てくる資料である。

30年周期でスクラップ&ビルドを繰り返さなければならない「日本的メカニズム」

と、いうが、30年ごとに日本の住宅・建築をめぐる状況を考えてみよう。今から30年前は1977年、これはあとで詳述する。60年前は1947年、戦後の焼け野原からようやく家らしきものが建ち始めた頃か。さらに30年さかのぼると1917年、第一次世界大戦直後、関東大震災前になる。日本の近代的集合住宅の始まりを、震災復興住宅である同潤会アパートに求める向きも多い。したがって、1917年では時代をさかのぼりすぎているということになりはしないか。

つまり、日本の近代住宅は、いまだ「サイクル」「繰り返し」という言葉を用いることができるほど、長い歴史など持っていないのだ。

つまり、容量率*1を上げて建て替え、新しく増えた住戸を販売して再建費を捻出するという手法で、住民の世代交代の時期、政府の景気対策と一致した周期を取っている。

このような「政府と企業の陰謀」的な見方は、問題に対する取り組み方を誤らせる可能性がある。

今から30年前というと1977年。これは1981年の建築基準法の改正以前になる。1981年の改正は、構造計算に関する規定を大きく見直したものであり、これ以前を『旧耐震』、これ以後を『新耐震』と呼ぶことがある。このことは、例の姉歯の事件の際にも触れていたマスコミがあるので聞いたことがある方も多いかもしれない。『新耐震』にそぐわない姉歯の建物よりも、『旧耐震』に沿った建物のほうが地震に弱いという事実を隠すな、目を逸らすな。そういった文脈で語られたはずだ。

建築基準法では、既に建ってしまっている建物は、建ったあとにできた法律に合わせる必要がない。(せっかく建てた家を、法律が変わったから建て替えろと言われても困る。また、都合の悪い建物を建て替えさせるために法律を変える、といったことを防ぐためでもある。)こうしてできた、現在の法律に適合しない建築物を、「既存不適格建築物」という。阪神淡路大震災で大きな被害を受けた建物のほとんどが『旧耐震』に沿った「既存不適格建築」であったことはよく知られている。

既存不適格建築物は、そのまま住み続ける限りは法律上問題ないが、これを改修したり、増築したりというと話は別になってくる。改めて建築確認申請を出さなくてはならなくなるのだ。これはつまり、現行法に適合させなくてはならないということであり、建物の骨組みである構造体がNGということであれば、ほとんどの建物で改修、増築よりも建て替えたほうが有利だと判断されると思われる。

加えて、アスベストの問題がある。内断熱から外断熱へのパラダイムシフトもこの30年間に起こった出来事だ。設備配管の交換方法も、30年前に十分考えられていただろうか。

したがって、今、現在において30年前の建物を継続的に使用していこうと叫んでも、おそらく「ジャーナリスト」と呼ばれる人々が最も嫌いな「市場の原理」というやつに押し流されてしまうだけだ。少なくとも私は、アスベストの埃の舞う、結露だらけの、震度5の地震で倒壊の危険性のある家に、自分の家族を住まわせたくはない。


だからといって、スクラップ&ビルドが良い、と言っているわけではない。法的、技術的な問題がないにも関わらず、マンションのスクラップ&ビルドが今後も継続していくのであれば、それは社会的、政治的、経済的問題として取り組んでいかなければならない問題である。おそらく、トラバ先で紹介されている本の作者も、このような懸念から筆を起こされたのだろうと推察する。(そのために、法的・技術的問題を封殺することは許されないと思うが。)

 いまから4年後だ。

そう、いまから4年後は、『新耐震』の建物が、初めて築30年を迎える年なのだ。このときはじめて日本は、法的、技術的、社会的、政治的、経済的に、30年のスクラップ&ビルドサイクルを脱し、サステイナブルな社会に入ったかどうかがわかることになるのだ。

日本には、家を持って一人前とする風潮が確かにあり、それはここ30年間特に顕著であった。それは、団塊の世代の現役時代とも重なり、また日本のハウスメーカーの歴史ともぴったり重なる。住宅が個人に帰属するという文化の起源を論じることにさほどの生産性は見て取れない。それが「木と紙の文化」だろうがなんだろうが、どうでもいいことではないか。欧米では、住宅は個人に帰属するものではなく、家族に、まちに、社会に帰属するものだ。人の一生よりも住宅の供用年数の方が長いのだから、そう説明する他あるまい。

「○○君、家買ったんだって?」
「いや〜、中古ですから」
「それでも、たいしたもんだ。」

「中古ですから」という謙遜。「それでも」という中に、新築の方がよい、買うなら新築、という意味は含まれていないか?他人の住んだ家に住むのは、どことなく気持ち悪い。そう思うのは、国や企業の陰謀などではなく、私たちの問題であり、どう変えていくべきか、考えていかなければならない。

住宅をストックとして見るべきという考え方には全面的に賛成だ。良質なストックを保護し、生産すること。悪質な負の遺産を排除し、新たに作られることを防ぐこと。これが最も肝要である。「やってしまった」過去の失敗ではなく、「これからやるべき」未来の問題と捉えることが、今私たちに求められているのだ。



わたしたちのマンションを廃墟にするな。

団地再生計画/みかんぐみのリノベーションカタログ (10+1 series)

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*1:筆者注:容積率のことだろう