夜のデリー

悪漢が襲い来る中を、女の子の手を引いてくぐり抜ける。


映画やゲームの中でならおなじみのシーンだが、現実にこんな体験をしたことがおありだろうか。


日本からインドに向かう飛行機は、なぜか夜中に到着する。1回目にカルカッタへ降り立ったときもそうだったし、2回目にデリーへ着いたときも。これは2度目の渡航の際の話である。




デリーの空港インディラ・ガンディー空港から市街までは車で約1時間の距離がある。したがって夜中に空港に降り立った旅行者がその日の宿を求めるためには、何らかの交通機関を用いて市内まで移動しなければならないのだが、列車などはないので、バス、あるいはタクシーという選択になる。


これはまた別のエントリーで書くことになると思うのだが、私は1回目のカルカッタで、空港からタクシーに乗って痛い目にあっているので、前回の轍は踏むまいという気持ちがあった。「地球の歩き方」には、「空港で一晩明かすのも手」と書いてあったが、これからの旅の支度(もちろん旅費も含む)を全て抱えたまま空港にとどまるというのも、かなりの危険を伴う。「歩き方」には、「市内へはバス便もある」と書かれていたので、取りあえず様子を見ようとバス停の方向へ向かった。


バス停には十数人の旅行者が既にいて、バスの到着を待っていた。日本からの便の到着直後なので、そのほとんどが日本人だが、ヨーロッパ系と見られる人も2人ほどいる。現地の人も何人かいるようだ。この人数ならば、トラブルもなく市内に辿り着けるだろう。すでに空港で一夜を過ごすという考えはなくなっていた。


程なくバスが到着する。大きなバスと小さなバスが1台ずつ。当然大きい方が安心と思ったのだが、大きい方は市内へは行かない、という。仕方なく、私たち十数名は切符を購入して、マイクロバス程度の大きさの、小さい方のバスに乗り込んだ。そのやり方に、インドの旅特有の「やな予感」はしていたのだが、まさかこの人数を一度に相手にすることはないだろう、という油断ももう一方にはあった。


しかし、やな予感という物は当たってしまうものだ。40分くらい走ると、バスは2人だけいた現地の人を降ろしてしまう。もちろんそこが彼らの目的地だったのだろうが、これで私の考えをポジティブな方向に向かわせていた要因のひとつが崩れさる。彼らが狙うなら私たち旅行者のみのはず。現地の人を巻き込む利はない。前回の旅の経験から導き出された法則だった。


もうしばらくすると、予感が確信に変わる。

「バスはここまでだ。」

そう言うと、180cm近い、インド人にしては大柄な運転手は、私たちに降りろと命じる。真っ暗なあたりの様子を見るに、どうやら市内からそう遠くないと感じられる程度には建物も見られるのだが、こちらは旅行者、どこだかわからないところに降ろされても困るのである。


彼らインド人男性の物の言い方は、非常にぶっきらぼうだが、好意の有無とは関係がないので、むやみに威圧感を感じる必要はない。だが、このときの運転手は、明らかに威圧をかける意図で、このような態度をとっているのがわかる。


「冗談じゃない!」白人の女性が果敢に声を荒げる。英語だ。英語はインドの公用語だ。もちろん教養の低いインド人には通じないだろうが、バスを運転できるカーストとデリーという土地柄を考えれば、この程度の英語が通じないはずもない。しかし運転手はここから先に車を進めるつもりは微塵もないようだ。「ここはどこだ。市内までどのくらいの距離がある?この地図で指し示せ。」私も「歩き方」の地図を突きつけながら運転手を問いつめるが、反応はない。


そんなことをしているうちに、どこからかオートリクシャーがワラワラと集まってくる。オートリクシャーとは、バイクの後ろに2人分の座席を付けた、オート三輪のタクシーだ。インド以外でも、アジア各国で使われているので、ご存じの方も多いだろう。


時刻は既に夜の1時。ここでじっとしていても、夜明けにはまだ遠い。バスの運転手とオートリクシャーはグルではないのか。もちろんそう思ったが、他に選択肢はないのだ。私たちは5〜6台集まってきていたオートリクシャーの運転手たちと交渉を始める。

  • 目的地は「メインバザール」。バックパッカー向けの宿が集まる地帯だ。
  • 絶対に、他のリクシャーと離れず、一団となって走ること。

こうした条件で、私たちは、それぞれの車に分かれて乗り込んだ。何しろ、夜中のことだ。女性だけにならないように分かれる。インドは初めてだという大学生の男の子二人は既に半泣きだったが、何とかついてこいと励まして2人一緒にリクシャーに乗せた。


私も一人の女性と一緒にリクシャーに乗り込んだ。




つづきます。