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Web2.0と都市とジャージ

建築

まとまらなかったけど、うpしちゃえ。


http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/books/na/20061124/501254/
Web2.0を直観的に先取りしていた(とおぼしき)安藤忠雄


これほど、タイトルと内容が一致していない文章も珍しい。安藤忠雄Web2.0とは間逆の位置に立つ人間である。彼がなした植樹プロジェクトは、桜の木を植える資金を一般から募るというものだったはず。彼の描く理想に同調する人だけが、その理想の実現のために動く、ゴールの決められたゲームであった。


彼も、そして石原慎太郎も、「アーティスト」である。彼ら「アーティスト」は、自分の理想を形として示すことができる、数少ない人たちだ。私たち凡人は、彼らの示す理想の形に対して、感動したり、時には不快な気持ちになったりする。


彼らは人の心を動かす力を確かに持っているが、全ての人がそれを肯定的に捉えるはずもないが、それはそれでいいのだと思う。全ての人が魅力的だと感じる作品、などと考えると、お役所の企画するイベントのような気持ちの悪いものにしかなりえない。安藤氏の桜のプロジェクトとて、力を貸すことが各々の意志に委ねられたからこそ、魅力的なのである。


一方で、都市はそこに住むもの全員が参加するゲームである。ノイズもあるし、反対の意見を持つものも多くいるだろう。まさにWeb2.0の世界であるが、むしろネット世界が人口増加や新しい仕組みによって、都市の構造に近くなってきて生まれたのがWeb2.0という言葉なのだと私は思う。


都市の中には、ピンサロやマッサージのステ看板を置く輩もいれば、赤や黄色のネオンを掲げる貸金業者もいる。この類は都市の景観が悪くなることは百も承知でしているのだろうが、彼らには都市の景観を守るための動機がない。彼らにとって都市の景観を守ることには、デメリットこそあれ、メリットはひとつもない。規制や罰則という目に見えるデメリットで対処していくことが有効な相手だ。


しかし、それで都市の景観が良くなると思ったら大間違いだ。都市にはあらゆる人が参加してくるのだから、自分の家の前に植木鉢を置いたり、天使かピエロかなんかの陶製の人形を飾ったりする人も当然いる。この人たちも都市の景観を醜悪にするのに一役も二役も買っているけれど、間違いなく「悪気」はない。彼らに不足しているのは良心ではなく、都市にとってよい景観とは何か、という情報である。規制を考えるよりも前に、情報を頒布する方法を考えるべきだろう。ひとりひとりがgoodだと考えている都市の姿を。


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/859310.html
で、例の坂本龍一の会談。みんなが食いついてる一人めしもそうだけど、ジャージというのは、都市における植木鉢やピエロのだか天使だかの人形に非常に近いのだと思う。生活感や、ひどく偏った価値観が、露出されているのを見たくない。坂本龍一がほんとうにそういうことを言いたかったのかどうかはわからないけれど、少なくとも糸井重里の理解ではそうなんだろう。

たびたび口にしてきた「コンクリート」に対する反発を、ここでも隠そうとしない

という石原都知事の態度は坂本龍一のジャージ嫌いに通じるものがあるが、都知事はそれを条例にしちゃうところが違う。


Web2.0はアーティストを必要としていない。凡人のアクションの集合体から何かを拾ってきて並べることで、新しい価値を生み出すもの、なんじゃないかな?その中にアーティストが入ってきて、みんなの心を動かしてしまうと、分散していたアクションが偏って、全体の利にならない可能性がある。ましてや、アーティストの価値観に従って、規制や削除までが行われることに、違和感を感じないだろうか。それは、リアルの世界で行われようとしていることなのだ。