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東京へ

 本日よりこのブログは東京に舞台を移します。


 と。いっても今まで大阪らしいことを書いていたわけじゃないんだけど。

 
 今は新幹線の中で、これから住むところを探しに行く。


 ここ2、3日は不動産賃貸情報に埋もれて過ごしてるわけなんだけど、やっぱ東京の家賃は高い。梅田と新宿を基準として、同距離、同程度の物件で月2万くらい違うんじゃないかな。実感で。


 まあ、よく見ると敷金・礼金の類(関西では敷引とかある)の初期費用が違うから、一概に並べて比較するというわけにもいかないんだけど。


 初期費用の高い関西は、やはり「一見さんお断り」の精神からか。見ず知らずの他人に家を貸すということに対するリスクを高めに評価してるということになるんだろうね。これで排他的な傾向とまでいいだすと、行き過ぎだろうけど。


 東京と大阪の違いというと、エスカレーターの右左ってのがよく言われる。まあ、エスカレーターを歩いて上るのは危険であるというのは承知の上として、東京は右側の人が歩き、左側の人が立ち止まるわけだけど、大阪はその逆。


 こういう比較的新しい習慣がどうやって定着したのかを想像すると面白い。

 
 エスカレーターを歩いて上るとすれば、絶対邪魔になるのがカバン。

 
 エスカレーターに乗るときは片手でベルトを、もう一方の手でカバンを持つことになるのが普通だと思う。そうなると、普段ベルトのある側の手でカバンを持っている人は、エスカレーターに乗るたびにカバンを持ち変えることになる。


 ただ、急いでエスカレーターを掛けあがる人は、いちいちカバンを持ち変えたりするだろうか。また、そのときに人のいる側にカバンを持っていたら、ぶつかって顰蹙をかうのは目に見えている。


 では、東京と大阪ではどちらがより合理的な習慣を手に入れたのか。


 仮定として、カバンを左手に持つ人が多いとする。多くの人にとっての利き手である右手があいていて、都合がよいように思う。


 この仮定の場合、合理的なのは大阪である。掛け上がる人も、立ち止まる人も、カバンを持ち変える必要がない。


 では東京は不合理なのかというと、こうも考えられる。


 東京は、急いでいる人がとにかく優先であると考えるのだ。急いでいる人は、カバンを持ち変えることもなく、人に当たることも意に介さず、ベルトをわし掴んで掛け上がるんだ、という、来るべき格差社会にふさわしい考えだ。ビジネスシティにおいては、のんびり立ち止まっている人々にかまっている暇などないのだ!


 まあ、これは仮定であるところの、「多くの人はカバンを左手で持つ」という前提が崩れれば、全部ひっくり返る。カバンを利き手で持つってのもアリな気がするしなぁ。人力検索でアンケート取ってみようかな。


 などと考えながらも、転勤というのは気が重くないこともないわけで。なにせ、先が見えないし。


 エスカレーターの話じゃないけど、俺の仕事である建設業ってのはこれ以上ないくらいに地域性の高い産業なだけに、その土地土地での習慣がものすごく強い影響力をもってるわけで。


 型枠のフォームタイが丸鋼だったり、天井開口を切るのが電気屋さんだったりと、いくつか耳に挟んでいるものはあるけど、きっと行ったらもっと驚くような違いがあるような予感がする。


 そういうのを知るのもまた楽しみだったりするんだけど。