読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

CADはWikiへと向かう

建築

 8月10日のエントリにトラックバックをいただいたので、尻切れトンボになっていたCAD論を続けてみたいと思う。

CADを使う利点は、スピードにはない。では、CADは手書きに劣るのか?


 で、CADの利点はろくに書かずに終わっちゃってるんだけどね。


 CADって、手書きと比べたら、線いっぽん引くのでも結構時間がかかる。定規当ててシャッてわけにはいかないからね。座標入れたりポイントあわせたり、レイヤーとか変えるっしょ。にもかかわらず、CADが手書きよりもスピードが速いと思われてるのはなぜかというと、「みんなで」ひとつの図面を書くからだ。


 CADってのはプロジェクト用の情報統合ツールであるべきだと思う。たぶんAuto-Deskなんかもそうあって欲しいと願ってるんだろうけど、現実には「文房具」としてしか理解されてないんじゃないと思う。


 まあ、CADは高価で珍しい文房具であったから、それを使えるだけで希少価値があった時代も今は昔。ボールペンとまではいかなくとも、それに近い扱いになってきている。自分が何を書いているのか、それが正しいのか正しくないのか判断できないタダのCADオペレーターであるなら、それは文房具の一部。ボールペンの芯程度にしか扱ってもらえなくなるだろう。


 話を元に戻して、みんなで書かなきゃCAD使ってる利便性を十分に活かし切れていないという主張に対する反論をしてみよう。ひとりで使っても十分便利だよ、と。


 ひとつには、図面の配布がデジタルで容易になったというもの。でも、こと図面に関しては、いわゆる「青焼き」が早くから普及していたおかげで、それなりに早く、安価に多数の人々に図面情報を伝達することができた。機械等の図面では青焼き図面の出番は減ってきているだろうが、建設現場ではまだまだ現役である。CADがない時代でも、図面は比較的容易に配布できていたのだ。


 また、ひとつに、修正が簡単、きれいというのがあるらしい。これは逆だよね。どこを修正したのかがわかるのは書いた本人だけ。むしろCADの弊害。「過去の自分」は他人も同然。前につくったデータを再利用できる、なんて主張も、「過去の自分」を他人と見なせば、「みんなで書く」のと同じこと。



 みんなでひとつのデータを触るわけだから、結局大事なのは、管理ということになる。


 CADオペレーターなんてものが成り立っていたころには、ボトルネックたるオペレーターを押さえればある程度の管理は可能だったろうが、誰もが(その理解度は千差万別ながら)CADを扱う時代となっては、大混乱状態に陥ることも珍しくない。


 図面は当然正しくなければならないのだけれど、それが正しいと判断する(=オーソライズする)人間が、図面の書き手に比べて少なすぎる。それが現状。


 CADを使って、多くの人が、少しずつ書き足す。オーソライズできる人の増減がなくとも、図面の書き手は確実に増えているのだから。


 「CADは難しい」という既成概念は、おじさん世代が作り出した過去のもの。一週間パソコンにかじりついてようやくプリントアウトした不格好な年賀状にイモバンをついて出す世代にとっては、確かにCADの敷居は高いだろう。だが、俺たちの世代にとってはどうか。


 手書きの時代、あるいはCADが特別な技能であった時代は、設計→オーソライズ→作図の順だった課程が、CADの普及により、設計→作図→オーソライズに変わったのが大きな問題。


 オーソライズされてなくても、CAD図面はキレイでもっともらしいから、オーソライズされてないことに誰も気づかないままに突っ走る。


 結局のところ、現在のところ製図業界は、オーソライズと最新版の管理に頭を悩ませているのだ。と、なればその方法論の中で最も注目を浴びているのがWikiだろう。


 もっとも、その最たるモデルであるWikipediaは、オーソライズを放棄したところに特徴があるんだけど、図面はそれじゃ困る。やはり、大きな権限をもった管理者の存在が不可欠となるだろう。


 ネット上におかれた図面に、プロジェクト参加者が手を加えていく。図面にWikiの考え方を当てはめるとそんな感じになるだろうが、そこにはセキュリティの問題も横たわっているのは明らかだ。完全なWiki化は難しいだろうが、Wiki的な運営が求められる。


 その運営方法については、けっこういろいろとビジネスチャンスが埋もれているよな気がするけどなぁ。


 こうして考えてみると、「CADオペレーター」などと呼ばれる職能が、いかに時代遅れの考えになっていきつつあるかがわかるだろ?


 これからは、最新版の「管理」と「オーソライズ」の手法を身につけた人材が求められちゃうんだよ。