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「あちら側」考

読書

アフターダーク (講談社文庫)

アフターダーク (講談社文庫)


 アフターダーク(文庫版)読了。


 麻原彰晃の死刑が確定したニュースがあったので、「アンダーグラウンド」が書店に並んでるのかと思ったけど、アフターダークだった。どこが似てるのかと言われると困るんだけど、似てないわけでもないだろ。


 ちなみに記憶の限りでは、アンダーグラウンドのあとがき、というかまとめの一章は、大変な名文だった。と思うのだけれど、手元にないのでまた今度読み返しておこう。これも、「あちら側」について論じてあったものだったと思う。が、どうだったか。


 村上春樹がたびたび登場させる「あちら側」。今回も中心に座る。


 「あちら側」とは何なのか。どこなのか。小説という形でしか表現できないもの。


 反対に、こちら側とは、何か。どこか。見えるもの。さわれるもの。経験されるもの。私が生きているところ。私たちが生きているところ。


 現象学的な認識。「私たち」。私、以外の認識者。私、以外の認識者が、私と認識を同じくする世界がこちら側。


 私、以外の認識者の認識が、私と異なる。あるいは私以外に認識する者などいないと考えることは、それほど難しいことではない。


 「私には心があります。」と言うロボットに心はあるか。ないとはいえない?だって、ブリキのおもちゃみたいな不格好なロボットなんだぜ?


 テレビの向こう側に映る風景が、現実に存在するものなんだ、って信じるようになったのは、いくつの頃だっけ。まだ、CGなんてものもなかったから、疑う理由もなかったし、疑うことを勧める人もいなかったように思う。


 結局、根っこのところは、信じるかどうかの問題であって、根っこの位置をどこに定めるか、だけだ。そこに、何も信じないという選択肢はない。無宗教を自認している人ほど、陥る罠。


 信じることは疲れる。シンプルじゃないし、美しくもないから、信じないという選択はとても魅力的にみえる。


 信じないと決めて目をつぶる。と、「あちら側」への扉が開く。でも、それって生きてるうちにしなくちゃいけないことなのかな。