CADは夏への扉を開いたか

ロバート・Α・ハインライン 「夏への扉」 読了。以下、ネタバレあり。

1957年に生きた著者が描いた、1970年と2000年の間の時間旅行。それを2006年の私たちが読むということには、著者の意図せざる、もう一つの時間トリックが含まれることになる。

タイムパラドクスを扱った作品、「時をかける少女」とか「笹の葉ラプソディ」、ベタなところで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とかと比べると、やはりもっちゃりした印象を受けてしまうのには、この「もう一つの時間トリック」を脳内で処理しなくちゃならない煩わしさが、一因としてあるんだろうね。(関係ないけど、タイムパラドクスを扱った作品で、私が人生最初に出会ったのは「ドラえもん のび太の魔界大冒険」。秀逸すぎるよ、誰も追い抜けないよ。)

作中には、いろんな発明品が出てくる。文化女中器(ハイヤード・ガール)をはじめとする発明品たちは、タイムマシンという作中でもっとも現実離れしたシステムにリアリティを持たせるため、単なる「夢の道具」であってはならなかったんだろう。1957年に生きた著者が当時の科学知識の延長線上に描いた、2000年に実現可能なラインの内側にあるものなんだ。数々の煩わしい役所的な手続きを、2000年の世界に敢えて残しているところをみても、それがわかる。

その中で、ほぼそのまま現代において実現化されているのが、製図機ダンだ。その機能は、

製図者が椅子に座ってキイを押すだけで、イーゼルの任意の箇所に、直線なり曲線なりを描き出すことができるところなど、(以下略)

ってな感じで、現代において、CADと呼ばれて実用化されているものに非常に近いものだ。その先見性には敬意を表したいんだけど、著者はCADの効用までは予測しきれなかったみたいだ。

というのは、作中製図機ダンは、もっぱら製図のスピードアップという目的で使われている。そして、その効用はストーリーの展開上非常に重要な役割を果たすわけなんだけど、ここで私の疑問は、「本当にその製図機でスピードアップが図れるの?」という点だ。なぜなら、私はCADが製図のスピードをあげるための道具だとは考えていないから。

CADは早くない。この主張は、CADを日常的に使わない人にとっては、あるいはひょっとすると使う人にとっても意外なものであるかもしれない。私は別に、1957年ごろの製図屋さんと、現代のCADオペレーターとで、製図競争をしたらとかいう議論をしたいわけじゃない。西武の松坂のストレートを打撃の神様川上哲治が打てるかどうか、という議論と同じく、面白いものにはなりそうだけど、あんまり生産的じゃない。実際、どちらが早いにせよ、このストーリーに影響を与えるほどの差は出ないんじゃないかなぁ、と思うだけだ。特に、物語中にあるように、描くべきものが決まっている場合は。

もし、製図のスピードアップのためにCADを使っている、あるいは使わせている人は、考えを改めて頂きたい。それは1957年的なものの考え方だ。CADを使う利点は、スピードにはない。では、CADは手書きに劣るのか?そうではない。CADには、CADにしかない圧倒的な利点があるのだが、あまりにも長くなりすぎたので、それはまた、別のエントリーにて論じることにする。